悪魔の章 034.ろくでもない結末

この直前での方針転換は琴子にしては珍しい、完全なる無策なものだった。

「改めて申し上げます。わたくしとお兄様の所属は『神』です」

ほんの一秒前まで悪魔と告げるつもりだった。
だが神と告げた。いっそ告げてしまったと表現してもいい。

「悪魔の側である佐橋さんにこう告げるのは心苦しく思いますが、どうか命ばかりは……」

神と告げるべき根拠はなにもなかった。直感すらなかった。なんなら今こうして話しているあいだも「なぜ神と答えてしまったのか」と後悔しているくらいだ。
琴子は北岡の忠告をそれほど重視していなかった。
当然だ。彼の言《げん》を切って捨てて良いだけの情報を、琴子はみずからの弁舌で確保している。そうして確保した結果、北岡の所属が神であることがほぼ確定しているのだ。
であれば敵の忠告と自分で勝ち取った根拠、どちらに価値を置くべきかなど論ずるまでもない。

下手を打ったと思う。
しかし一方で、琴子はさほど動揺していなかった。

(……大丈夫。最低でも挽回する機会は与えられるはず。わたくしの見る目が確かなら、佐橋さんはこの場でわたくしを殺すなんて浅慮な真似をする人じゃない)

澄は「答えを間違えれば殺す」と言っていたが、あれは単なる脅しに過ぎない。きっと彼女は、琴子たちが神だろうが悪魔だろうが、どちらでもいいと考えている。
琴子から引き出す情報はあくまでも判断材料だ。
澄が重視しているのはまず自分自身、その次が北岡。さらにその次に来るのが『自分と北岡』だ。それらと比べれば、琴子と壮士の価値は越えられない壁の先に置かれている。
だったら、

「あなたはどうしたい?」

澄のそれはかなりザックリとした質問だったが、無駄を省いたものだとも言える。
なので琴子は数瞬黙考して、今度こそ澄が望む回答を吟味した。

「最善はお二人と協力関係を結ぶことです。ただその程度については、必ずしも行動をともにする必要はありません。たとえばこの第二戦だけに限定した不戦協定を結ぶ、あるいは通信の共有に留めるなど、内容を協議する用意があります。
次点でわたくしの解放。さらにその次点で解放とセットで装備の返却を望みます。もちろん解放された暁にはお二人と敵対しないことをお約束します」
「わかった。あなたはここまで私たちに相応の扱いを受けたわけだけど、その点についてはどう考えている?」
「至極当然な措置と考えます。恨むどころか、生かしていただけていることに感謝しています。捕らえられた相手がお二人であったことは幸運でした」
「幸運だったと思うのは、気が早すぎるんじゃないかしら」
「こうして話が通じている時点でじゅうぶん幸運だと思いますけれど?」
「さっきの長台詞《ながゼリフ》といい、頭と口が回りすぎるのが引っかかるわね」
「対話が成立しない馬鹿は始末しておくに限ります。わたくしならそうしています」

そこで会話が途切れ、澄が目を細めた。
その渋顔から琴子に良い印象を抱いていないのは間違いないが、言い分には共感するところがあったのだろう。そういう微妙な感じの表情だ。

「意見を」

その澄の問いかけはもちろん、変わらず琴子の隣で跪いている北岡に向けたものだ。

「まず佐橋が判断してくれ。この件についてはそういう約束だ」
「あなたの味方になる人たちかもしれませんよ? この子はかなり癖がありますけど」
「俺たちと違って確証はないだろ。別に殺したって損だとは思わない。癖が強いしな」
「失礼な人たちですね……」

ムッとする琴子に構わず二人は会話を続ける。

「でも子供を手に掛けるのは気が進まないんですよね?」
「まあな」
「ならこの子の身ぐるみを剥いでここに捨てて行くというのはどうですか?」
「鬼かお前は。それならいっそ楽に殺してやれよ……」
「悪魔の手先になに言ってるんです」
「そうだった」

北岡は肩をすくめて苦笑い。
努めてそうしたのかは定かではないが、その空気感は至極軽いもので、

「ただ、連れて来た俺がこういうのもなんだけど、優先順位を間違うなよ。俺もお前も、あとコイツもお兄様も、人助けがしたくてここに来ているんじゃない。むしろ殺しに来ているんだ」
「お言葉を返しますが」

琴子は割って入った。

「確かにわたくしたちは殺し合いに来ています。ですが今は、鬼から安全に逃れることが最優先です。優先順位を語るなら、どうかその点もお忘れなきよう」

北岡が小さく吹き出した。

「しぶといガキだな」
「命が懸かっていますからね。もう必死です」

呆れた風な北岡に、琴子は不敵な笑みを返した。
捕まった当初からそうだったが、琴子はこの北岡なる男に対してあまり悪感情を覚えていなかった。
もちろん捕虜の憂き目に遭わせてくれたことは恨めしく思っている。けれどなんだか少し。ほんの少しだけ。この男が出会ったばかりの一馬と重なって見えてしまうのだ。
といっても顔はぜんぜん違うし、背も違えば声もまったく似ていない。
そういう面では壮士のほうがずっと一馬を思わせる面影がある。兄弟なので当たり前だが。
だからたぶん、北岡が近いのは年齢くらいなものだろうけれど、彼のぶっきらぼうな言葉や態度のなかに、ちょっぴり甘さが見て取れるところが、焦がれてやまない男《ひと》とダブるのかもしれない。

しかしそこは腹黒な琴子である。

(極微少に一馬様とキャラがかすっていようが、所詮この男は神の手先。
あとでぜったいにぶち殺す。邪魔立てするならこの女も殺す。……見ていなさい、わたくしを捕虜に取ったことを後悔させてやります)

円成寺の女はやられたら倍返しが族是《ぞくぜ》。命乞いされてもぜつゆる。事情なんぞ知らんし、そもそも聞かない。庇い立てする者も殺す。
神の手先と判明した時点で人権なし。とにかく殺す。決定。
神の手先は文字通りの必殺と決めているのだ。

といった真っ黒なことを考えている内に、澄が結論した。

「提案があります」

そう北岡に告げて澄は呆れの溜息をついた。

「あと、いいかげん立ってください。私が脅しているみたいじゃないですか」
「尋問はもういいのか?」
「ええ」
「なら聞こうか」

北岡が琴子の頭に手を乗っけて「よっこらせ」と立ち上がる。
おかげで琴子は「うぐっ」と変な声を上げさせられたが、二人が気にした素振りはなかった。

「桐山という人に接触してみます」
「妥当なところだな。俺が行こう」
「私が行きます。北岡さんはここでこの子を監視してください」
「いいや、俺が行くべきだ。リスクが高すぎる。
こいつと違ってお兄様は男だ。武装もしている。性格もわからない。
実態としてこっちは人質を取る格好になるんだ。問答無用で殺し合いになっても何もおかしくない。鬼や他のプレイヤーと出くわす可能性だってあるんだ。俺のほうが対処できる」
「聞いてください」

澄は手を持ち上げて北岡を制し、切々と説く、

「桐山さんと会って所属を尋ねます。
もし彼がこの子と同じ答え――神と答えたなら、まず北岡さんに無線で連絡します。そのあと桐山さんに無線機を渡して、私はそのまま三人と別れます。さすがに4人の内3人が敵側のグループに身を置く気にはなれませんから。
北岡さんはこの場所を教えるだけで済ますのもよし、二人を仲間にするもよし、ご自身で判断してください」

北岡は黙ってそこまで聞くと、横目でチラリと琴子を見て、それから澄に尋ねた。

「桐山が悪魔と答えたら?」
「その場で私が始末します。あなたはこの子の処理を」

北岡は納得したように頷き、「まあ、そうだな……」といぶかしげな目で琴子を見下ろした。

「二人のあいだで所属が割れた時点でこいつらの言うことは何も信用できないか」
「ええ」

つまり琴子と壮士が口にした所属が食い違った瞬間、二人の正体は問題でなくなる。
どちらかが嘘をついていることが確定するのだから、そんなペアと協力関係など結べるはずがない。だから所属が割れたなら、正体を探ることなく殺してしまおう。
澄の提案はそういう内容だ。

「そういうわけで、私の立場では北岡さんが行くのは受け入れられません」
「もし桐山が神側だったとしても、俺はそいつとで組んでお前を襲ったりしないぞ?」
「わかっています。けど北岡さんが私の立場なら私を行かせますか?」
「絶対に行かせないな」
「でしょう? どれだけ信用している相手でも、生殺与奪を握られせるほど私は迂闊《うかつ》じゃありません」
「なら俺とお前で一緒に行くのはどうだ。桐山と話すのはお前でいい。俺はバックアップに回る」
「それも無理です。もし桐山さんが神と答えようものなら、私は結局その場で生殺与奪を握られちゃうじゃないですか」
「ああ、そうか。そうだな……」

澄と北岡が一緒に行ったなら、澄が懸念しているリスクが発生する場所が、ここか、壮士との待ち合わせ場所かの違いにしかならない。
それを理解した北岡がうんざり気味に言う。

「面倒くさいな……。やっぱ身ぐるみ剥いで捨てて行かないか?」
「あなたが連れてきたんじゃないですか……。というか面倒くさいからって、それはさすがに人としてどうかと思いますよ?」
「冗談だよ。円成寺もそんな目で見るな」
「…………」

冗談にしてはたちが悪すぎる。
あとこの男に関しては、然るべきときが来たなら必ず殺してやろうと改めて強く誓う琴子である。
さらに言うと、どうもこの男は一馬よりも壮士に似ているような気がしてきた。思考・発言に一馬のような繊細さ、細やかさが無い。適当かつ大雑把な男だ。

「そうじゃなくても、桐山さんはきっと円成寺さんの声を聞かせろって言ってくると思いますよ。この子の拘束を解くわけにはいきませんし、人質を連れて行くなんて論外です。
ついでに言えば、外に出ることそのものがリスクです。
結局どちらかがここに残って、この子のそばに居ないと、桐山さんとは話し合いにもなりません」

そんな感じに澄は北岡の修正案をことごとく切って捨てていく。
だが琴子も、きっと北岡も、その本質をちゃんと理解していた。
澄の提案は彼女自身になんら利益をもたらさない。北岡には大きな、琴子にはそれよりも小さな、それぞれに利益をもたらすものでしかないのだ。
琴子は神の陣営だと明言した。
北岡にとって琴子は潜在的な味方であり、澄にとっては完全なる敵性存在だ。
そこへ壮士という新たなる敵を招き入れようとする行為に、澄が得することはひとつもない。
どころか彼女にとっては、いま協力関係を築けている北岡を失う分、不利益を被《こうむ》るばかりだ。
澄は本来なら琴子を殺すだけで済ませたいはず。
しかしそれでもこの提案をするということは、もはや北岡に対する善意でしかない。
北岡と琴子に味方を増やす機会を与えようとしてくれているのだ。
無論、琴子の立場では、壮士が殺されるかもしれないというリスクが伴うものの、ハナっから琴子は囚われの身でしかなく、モノを言える立場ではない。
であれば、いま生かされ、さらに壮士と合流できる目があり、ついでに協力者が得られる可能性まであるのだから、やはり琴子もメリットだらけだと言える。
なので澄は、自身の安全と良心が許す限りにおいて、琴子に対しても最大限配慮してくれたに違いない。
だからこそ琴子は澄を惜しむ。

(人としての善良さは、このゲームにおいて毒になりかねない。
けれど、それ以上に信用の置ける味方は貴重だ。
頭は悪くない。受け答えも早くて卒がない。想像力もある。判断も妥当で論理的。自分のなかで利害の調整もできる。何よりわたくしたちと同じ悪魔の陣営であることがほぼ保証されている。……とてもいい、欲しいですね、このひと)

けれどやはり北岡のアレが気掛かりだ。

(この男は彼女のなにを勘ぐっているの? いや、あの感じだと、もう確証があるのでしょうか?)

そういう意味では澄よりもずっと北岡のほうが解かりづらい。
隠し、秘めていることがあって、恐らくそれを澄には看破されておらず、だがその秘めた何かを出会って間もない琴子には示唆してきている。
そういう際どいことをしてくる割に、感情の起伏がほとんど見て取れない。ここまでの印象は一貫して雑でぶっきらぼうな男でしかなく、故に琴子の目には些か気味悪く見えてしまう。

そんな北岡もまた結論した。

「わかった。俺が残る」

そう結論したはいいが、北岡は尚も口を開きかけ、だが結局諦めたようにゆるゆると首を振った。
琴子はすぐに察した。
きっと澄も察したのだろう。
彼女はかすかに口元を緩めて北岡に告げた。

「やめておきましょう。きっとろくでもない結末にしかならないでしょうから」
「そうだな」

北岡はこう提案しかけたのだ。
もし壮士が『神』と答えたとき、北岡は壮士に琴子を引き渡し、そのあともう一度澄と合流できないだろうかと。つまり北岡は琴子と壮士とは組まず、引き続き澄と組み続けたいと口にしかけたに違いない。

「じゃあ方針が決まったことだし、さっそくお兄様に連絡してみようじゃないか」
「私が話します。ここから繋がればいいんですけど」
「案外もう鬼に狩られてたりしてな」
「さすがにこの時間帯でそれはないんじゃないですか?」

いま琴子の立場はあべこべだけれど、北岡と澄はそうではない。
どこまで行っても敵でしかないのだ。
たとえ今は協力できたとしても、必ず殺さざるを得ない時が来る。

だったら無意味だ。

澄が告げ、北岡が同意したように、二人が行き着く先はろくでもない結末しか用意されていないのだから。

クロ

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