悪魔の章 033.神か悪魔か

佐橋なる女との合流はつつがなく果たされた。
彼女は琴子に対して警戒感ありありな眼差しを向けてきたものの、北岡がそうであったように、暴力を振るうでもなく、乱暴に扱うでもなく、キツイ言葉を吐くどころか話しかけることすらせずに黙々と琴子を拘束した。
ちなみに当初、北岡が琴子を拘束しようとしたのだが、佐橋はそれを止めてみずからの手で琴子を椅子に縛り付けた。
この行動から彼女の性格や警戒心の強さのほどが伺える。
その甲斐あってパイプ椅子に座らされた琴子は、両手足をそれぞれ結束バンドで椅子に固定されてしまっている――とまあ、なかなかに徹底した拘束を受けていた。
そんななか、幸いなことに口は塞がれていない。
おかげで息苦しさはないが、佐橋がそうしたのはもちろん、

「初めまして円成寺琴子さん」

琴子を尋問するためだ。

「私は佐橋澄《さはしすみ》、悪魔の陣営に属しているわ」

告げられた瞬間、琴子は胸の内で舌を打った。

(……面倒なことになってきましたね)

まさかまさか、澄が琴子に先んじて自身の所属を明らかにしてくるとは思っていなかった。
ましてそれが悪魔――ついさきほど北岡から示唆されていたモノと真逆の所属だとは想定していなかった。
好ましくない流れだ。危うい気配がする。
できれば先手を打って会話の主体を取りたかった。

「あなたは私の味方? それとも敵なのかしら。教えて頂戴」

言って、こちらに向けて銃を構えた澄を睨めつけながら、琴子は目まぐるしく思考を巡らせ始めた。

(どちらかが嘘をついている。……いや、二人とも?)

断定していいのは、この澄のカミングアウトは北岡と事前に申し合わせていたものではない、ということだ。
その根拠を琴子は見逃さなかった。
澄が所属を明かした瞬間、北岡はかすかに驚きを表情に浮かせ、澄へ眼球を巡らせた。
故に断定できる。澄のこれは独断だ。
ただ、北岡が覚えた僅かな驚きが、澄が所属を明かしたことに対してのものなのか、それとも澄が所属を偽ったことに対するものなのかが分からない。
どちらもあり得る。両方もあり得える。前者は当然として、後者であってもなんら違和感はない。
何故なら北岡は、澄が「神だ」と示唆しているのだ。

(北岡さんにはわたくしを騙す理由がない。
であれば、やはり彼女が所属を偽った可能性のほうが高いか)

無論、その他にもいくつものパターンが想定できる。しかしながら、琴子を嵌める理由がない北岡の忠告を信じる前提に立つなら、澄の意図をあるていど絞り込むことができる。

(そもそも、この人が本当に悪魔の側なら、二人は敵対陣営間で手を結んでいることになる)

初戦のあとに琴子も発想し、今現在、目指していることでもある。
事実、北岡と佐橋は琴子のなかでその有力候補だ。
だが現実問題として、敵対陣営間でそう易々《やすやす》と手を結ぶことができるだろうか。
このゲームはゲームであってゲームではない。殺し合いであり、戦争なのだ。
神に対する憎しみ、悪魔に対する恨み、人によってはそうした感情的な問題だってあるだろう。じっさい壮士と琴子は狂おしいほど神を憎んでいる。

(そうなると、やはりこの女が所属を――いや、北岡さんが所属を偽っている可能性もある。……あるか?)

それはない、と琴子は思った。

(ロブが言うところのわたくしの”触り”は”北岡さんはシロ”と感じている。でももしあるとするなら、あの驚きの意味合いが変わ――)

とそこで、琴子は考察を一時停止させられた。

「ちょっといいか」

澄の右手、彼女の対面に座らされている琴子の左手、双方の中間的な位置に立っていた北岡が割って入った。
銃を突きつけている澄が無言で眼球を巡らせると、北岡は琴子に歩み寄って、その傍らに跪き、さらにみずからの両手を頭の後ろに回した。
さながら刑の執行を待つ捕虜のような北岡の態度を受け、澄はその表情にありありと困惑を浮かせた。

「えっと……、なにしてるんですか?」
「煮るなり焼くなりのポーズだよ」
「……もしかして、この子のことを庇ってます?」
「いいや? ぜんぜん? これっぽっちもコイツを庇うつもりはない。ただ内容が内容だから、俺がこうしておいたほうがお前は安心できるかと思って」

北岡のそれは琴子には今一つ要領を得ないものだったが、澄が「あ――……」と脱力したような声を漏らしたあたり、彼女は北岡が意図したところを正確に察したようだ。

ため息交じりに澄が言う。

「やめてください。北岡さんのことは信用しています」
「それはありがとう。でもまあ、いいじゃないか。俺のこれは佐橋への信頼の証ということで」
「…………」
「続けてくれ。俺は口も手も出さない。そういう約束だ」

そんな二人の会話が交わされたのは僅か数秒のこと――。

(なるほど、そういうことですか)

だがその取るに足らない数秒の猶予を得たことで、琴子は澄の所属、澄の真意、北岡が取った行動の意味、二人が今に至った背景――即ち二人が初戦で経験した出来事、その全容をおおよそ読み解いた。
北岡の行動、特にその後の二人の会話が大きなヒントになった。

事情が知れたなら、ここから巻き返すことはそう難しいことではない。

「わたくしの所属を明かす前に、佐橋さんにいくつか質問をさせていただきたいのですが、お許しいただけませんか?」

言った途端に、北岡に向けていた気安い眼差しが剣呑なものに変わった。

「許可しない。所属だけ答えなさい」
「答えたらどうなりますか?」
「回答次第であなたはここで死ぬことになるわね。私は余計なリスクを背負い込みたくないの」
「なるほど、理解しました。貴女の頭のなかにある正解――所属と異なる答えを口にしたなら、わたくしは殺されてしまうわけですね」
「そうね」
「でしたら考える時間をください。なにぶん生死を分かつ選択です。そのくらいはいいでしょう?」
「選択する必要はないわ。真実を答えればいいの」
「60秒で構いません。ください」

数瞬、澄と琴子のあいだに沈黙が流れると、北岡は横目に琴子を見て、それから澄に目を向けた。

「……北岡さん、目で『そのくらいやれよ』って言うのやめてもらえませんか?」
「俺は口も手も出していないぞ」
「そういうのは屁理屈って言うんです」

澄は深々と溜息をつき、腕時計に目をやった。

「いいわ。60秒――」
「神です」
「……だけ、よ」

間髪入れずに回答してきた琴子に、澄は腕時計を巻く左腕を持ち上げたままの体勢で固まった。
琴子は重ねて告げる。

「わたくしとお兄様の所属は神です」
「…………」

隣の北岡も目を見開いているが、構ってなどいられない。
琴子の持ち時間はたったの60秒しかないのだから。

「時間が余ってしまいましたので、残り時間はわたくしが推察したところをお話しすることに使わせていただきます。
約束したのですから、60秒を数えるまでは手出し無用でお願いしますね。
まずはお二人の所属について触れます。
北岡さんの所属は神、佐橋さんは悪魔です。北岡さんについては事前にお聞きしていましたが、お二人とも嘘はついておられないと判断しました。
そう判断した根拠をお話します。
わたくしは当初、佐橋さんが嘘をついていると思っていました。
口では悪魔の陣営だと告げながら、実際は北岡さんと同じく神であると。
しかし今、北岡さんはわたくしの隣で跪いておられます。その理由として北岡さんは、そうしたほうが『佐橋さんが安心して』わたくしを尋問できるからだと仰いました。
なぜ北岡さんは佐橋さんにそんな配慮をしたのでしょうか。
それは、わたくしの答え如何によってパワーバランスが崩れてしまう恐れがあるからです。
北岡さん、佐橋さん、わたくし、そしてこの場に居ないお兄様。
わたくしとお兄様が同陣営に属することはほぼ確実です。であれば、わたくしが答えを口にした瞬間、お二人にとっての敵か味方が、目に見える形で二人うまれることになります。
そんななか、北岡さんは佐橋さんに配慮したのですから、お二人の所属が同じなわけがありません。
北岡さんはつまり『たとえ3対1の状況になったとしても、俺がお前を裏切ることはない』と、みずから跪き、佐橋さんに撃ち殺されるリスクを負ってまで安心させようとされたのです。
しかしそうなると、別の疑問がわいてきます。
本来敵対関係にあるお二人が、どうやったらこれほど強い信頼関係を築けるのか。
わたくしには到底できそうにありません。
だって互いが『異なる陣営である』ことすら確証が持てないのですから。
口ではどうとでも言えるのですし、どれだけ馬が合って、いくら人柄が良かろうと、疑いが晴れることはありません。
相手が敵であれ、味方であれ、一時的な協力者に過ぎなくとも、轡《くつわ》を並べて共に戦う以上、最低でも何かしらの『裏付け』が必要です。
わたくしは、お二人がその『裏付け』を互いに持ち合っているのだろうと推察します。
持ち合っているから信頼関係を築けている。信じられるものがあるから、北岡さんは本来敵である佐橋さんに対し、命の危険が伴う配慮ができるのだと、そう考えました。
裏付けとは情報と経験です。
ここからは完全に推測になりますが、恐らくお二人は互いの所属を保証できる情報を持っておられるはずです。
具体的に言うと、お二人は初戦を通じて、北岡さんが神の陣営であること、佐橋さんが悪魔の陣営であることを、直接その目で確かめているということですね。
勿論わたくしには、初戦の内容はまったくわかりません。
しかしお二人がこうして生きて手を結んでいるのですから、初戦は複数名参加のもと互いの陣営を明かした上での集団戦だったのではないかと推察します。
信頼関係もそこで培われたものなのでしょう。
互いに人を殺し、命を賭《と》して生き残ったのです。それならお二人の気安い距離感にも理解が及びます。
しかしそれでも、たった一つだけ、確証が持てないことがあります」

硬直する二人を置き去りにして、琴子はそこまで持論を述べたあと、驚きからか組んでいた手を下ろしてしまっている北岡を伺い見た。

「お二人が別陣営にあることはほぼ確信しています。
しかしその所属については、確証が持てていません」

じわりと理解が及んできたのだろう。
北岡はいぶかしげに目を細めて唇を裂いた。

「それは自分の読みが間違っていないという前提で聞いているんだよな?」
「無論です」

琴子は自信を以って顎を引いてみせた。
そのうえで琴子は重ねて問う。

「佐橋さんが所属されている陣営は?」
「悪魔だ。俺が保証できる」
「北岡さんっ!」

声を荒らげた澄に、琴子は問うような眼差しを向けた。
澄は暫くのあいだ琴子を睨みつけたあと、やがて喘ぐように天を仰いで銃を下ろした。

「……北岡さんの所属は神よ。私が保証できるわ」
「お答えいただきありがとうございます。ではわたくしも誠意をもってお答えします」

そこまで澄に告げた刹那――琴子は尋常ならざる強い気配を感じた。

「…………」

北岡がこちらの横顔を見つめていた。
その酷く深刻な眼差しは、あからさまに「やめろ」と告げている。
不可解極まりなかった。
何故そんな目を向けてくる。

(確かこの人……)

――神と答えろ。

澄と引き合わせる前に、北岡はそう忠告してきた。
しかしここで澄を謀《たばか》れば、協力者としての目が潰えてしまう。
裏は取れている。裏付けてくれたのは他でもない北岡自身だ。そんな彼は琴子と壮士の敵である神の手先なのだ。彼が敵性存在である裏付けまでもが取れている。
故に澄に真実を告げたところでなんら問題ない。むしろここで告げておかないほうが禍根を残す。
だから琴子は、

「改めて申し上げます。わたくしとお兄様の所属は『神』です」

琴子はよくよく知っていた。

「悪魔の側である佐橋さんにこう告げるのは心苦しく思いますが、どうか命ばかりはご容赦ください。この場を見逃していただけるなら、以降、決して貴女に敵対しないことをお誓いします」

神様のゲームがそうだった。
人と人との関係は度し難い。人間は簡単に偽る。騙す。裏切る。陥れようとする生き物だ。
無論、琴子もまた、その例に漏れないどころか嘘だらけの女なわけだが。

琴子は澄に深々と頭《こうべ》を垂れたまま思う。

(……いったいこの女になにが)

北岡が琴子たちに所属を偽らせる理由。
彼にそうさせる佐橋澄が抱えているであろう何か。
そんな二人がどうして協力関係を結んでいるのか。
北岡は何を危惧している。
澄は何を以って北岡に危惧させている。
北岡は澄のことを危惧しているのに、どうして身の危険を冒してまで彼女に配慮した。
琴子が本当の所属を明かしたとき何が起きる。
澄は確実に悪魔の陣営だ。
ここまでのやり取りに演技はなかった。自信がある。
彼女は本来なら琴子たちの味方となりうる人だ。神と告げれば危ういのではないか。琴子は殺されないか。壮士は殺されないか。擁護しないと言ったのは北岡だ。
助けないくせに助かろうとするのを止めるのか。わけがわからない。どうなっている。
この歪な関係にある二人はなんなのだ。

それらの疑問は琴子をして、ひとつも読み解けなかった。

クロ

クロ

自作小説を投稿しています。成年向けの内容を含みますので18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。
ノクターンノベルズにて「神様のゲーム」連載中です。 ゲーム版の公式サイトはこちら