悪魔の章 032.≠(not equal)

北岡のパートナーとの合流地点を目指す道程において、琴子は捕虜に相応しい扱いを受けていた。

「次はあのビルだ」

数少ない植え込みに身を潜めながら、北岡が数十メートル先にあるビルを指差す。
琴子が息を乱しながら無言で頷くと、北岡はほんの少し顔をしかめはしたが、特に言葉を重ねることはせず、さっさと行けとばかりに顎をしゃくった。
その呆れた風な表情から『こいつ、体力なさすぎだろ』みたいなことを思っているに違いない。

琴子としては非常に面白くないところだが、文句を言ったところで詮無いこと。

「――ッ!」

やむなく琴子は全力ダッシュで指示されたビルに向かって駆け出した。

北岡が移動地点を指示し、そこへ琴子が先行して、その後北岡が追従するというこの営みは既に7回繰り返されている。
琴子は対プレイヤー・対鬼へのデコイ役。
そうして安全が確認できたのちに北岡が移動という流れだ。

「まあ、ハァ……ハァ……、捕虜に相応しい扱いですし……、ハァ……、理屈のうえではっ、納得もしているのですが……」

息も絶え絶えな琴子が、追いついてきた北岡を恨めしげに見上げる。

「女の子供を囮に使うなんて、ハァ……、恥を知りなさい……」
「おまえ体力ないな」

悲しいかな、文句を言ったところで北岡が思っていたであろう内心を告げられただけだった。

「せめてこの拘束を解いてもらえませんか? 走りにくくて仕方ありませんし、誰かに見つかったら抵抗することもできません」
「問題ない。もう着いた」

こちらに背を向け、周囲を警戒していた北岡は腰から無線機を引き抜いた。

「佐橋」

数秒の時を挟んで応答があった。

『着きました?』
「ああ、接敵はなし。ソナーの反応も一度もなかった」
『良かったです。プレイヤーはどうですか?』
「誰にも見られていないと思いたいが、確証はないな。移動するか?」
『いえ、鬼の反応がなかったなら構いません。プレイヤーが相手ならここで迎え撃ったほうが賢明だと思います』
「確かに動き回るほうがリスクがあるか」
『だと思います。まあ、どのみちここも2時間も経たない内に放棄することになりますけど』

そんな二人の会話を耳にしながら、琴子は遠くに見える都庁に目をやった。
琴子たちの現在地から、目算でおおよそ700~800メートルといったところか。
悪くない位置取りだと思う。
フィールドは直径3000メートル。その円陣は時間経過とともに狭まっていき、最終的に直径200メートルまで縮小される。
当然、円陣の外周付近には長い時間とどまれない。しかし可能な限り中心付近には近づきたくない。
鬼や他のプレイヤーと会敵する可能性が高まるからだ。
最終的に皆がそこを目指さざるを得ないことは決まりきっているのだから、相対的に人口密度が低いであろう外周エリアに一秒でも長くとどまるべきだ。
そうしてこちらが潜伏しているあいだに魔阿が他のプレイヤーを狩ってくれたなら、人口密度はさらに下がり、結果琴子たちが負うリスクはさらに下がっていく。
この方向性なら地下に潜る選択肢もある。

もちろん他にも考え方は色々あるだろう。

(早い時間帯に直径200メートル以内に拠点を構えるのも悪くない)

他のプレイヤーのみを対象とするなら悪くないプランだと思う。もし襲撃を受けたとしても、それを跳ね返せるだけの陣地を作り、トラップを敷き、火力を有するならアリだ。
恐らく壮士と琴子が揃えば構築できるだろう。
これなら自分たちの手で神の手先を狩ることができる。
もちろん敵味方の切り分けが困難なことから、十把《じっぱ》ひとからげに殺すことになるが、プレイヤーの数が少ないに越したことはないし、このさきより良い条件下で複数のプレイヤーを殺せる機会があるとも限らない。
であるなら、やる価値はあると琴子は考える。
ただこの方向性だと、鬼に対しては不利に働くかもしれない。魔阿の人外具合によっては、引きこもったそこが狩り場とされかねない。
魔阿に対しては機動性が最優先だ。
彼女の足を止め、そのあいだに逃げ出せる経路を複数確保しておくことを重視すべきだろう。

(ソナーが反応したとき、外周近くであれば逃げる方向が制限される。鬼に退路を絶たれ、外周方向へ追い立てられる可能性が高い。
カムイさんならともかく、マアさんならそのくらいのことは当たり前にやってくる。
その点、中心付近なら東西南北どの方向にも逃げられる。トラップのたぐいも多少は読まれづらくなるかもしれない)

それら諸々《もろもろ》を考えたとき、ひとまず円陣の中間付近に足掛かりを作る――という佐橋と呼ばれた女と北岡の判断は妥当と思えた。

一方、変わらず周囲を警戒しながら、北岡が無線機にささやきかける。

「できれば正面入口からは入りたくないんだが――」
『裏に回ってください。通用口の安全を確保しています。鍵は開けてありますけど、通ったら閉めてくださいね』
「手回しがいいな。頼りになる」
『どうも。入ってひとつ目の角の右手に非常階段があります。そこから……』

それから何度か、北岡と佐橋のあいだで合流するまでのやり取りが交わされた。

その小気味よい応答に、琴子は小さな希望を見出していた。

(悪くない)

北岡も、佐橋なる女も。
息の合った二人の呼吸、抜け目のなさ、思考性、そのどれもが協力者の素養として充分だと思えた。
無論、超えなければならないハードルは多数ある。
琴子は囚われの身であるし、二人がどちらの陣営に属しているのかも不明。また、二人が壮士に対してどういうアプローチを取るのかも不確かだ。
ひとまず琴子を生かしてくれた北岡にしても、ちょっとしたことで琴子と壮士を始末するに違いない。そういう雰囲気だ。この男は。

「さて」

通信を終えた北岡が琴子に鋭い眼差しを向けた。

「聞いての通り、これから相方と合流することになるわけだが――」

言いながら北岡は琴子の胸ぐらを掴んで引き寄せ、右手に持ったままの銃口を琴子のこめかみに押し当てた。

「その前にもう一度聞いておく。お前はどちらの陣営だ」
「…………」

琴子は北岡の瞳を見据えるだけで唇を開こうとしない。
もちろん琴子はこの尋問に答えざるを得ないことを承知している。
ただできることなら、もう少し情報を取ってからにしたかった。せめて佐橋なる女に会い、自身の目で人となり、空気感、神や悪魔を語り、その反応を見定めてから答えたかった。
それほどまでに、自身の所属を明らかにする行為にはリスクが伴う。
琴子が口にする答えが嘘であれ真実であれ、こちらが相手と異なる所属であった場合、有無を言わさず始末されかねないのだ。

一度目と同様に黙秘を貫く琴子の姿勢を受け、北岡は「度胸があるな」と呟いたのち、より一層低い声で告げた。

「大したもんだが、今度は脅しで済ませるつもりはないんだ。……もう死んどくか?」

琴子の耳元で撃鉄を起こす鉄の音が鳴った。

「佐橋という方と合流したあと――」
「今だ」

こうなってはもう腹を決めるしかなかった。

「悪魔です」
「……ほんとうに?」

危うさが灯る北岡の瞳が琴子の墨色の瞳を覗き込む。

「本当です」
「お前のお兄様も?」
「ええ、お兄様も」
「お兄様の名前は?」
「桐山壮士です」
「確かお前は円成寺琴子って名前だったと思うんだが」
「わたくしのフィアンセが壮士お兄様の兄君《あにぎみ》なのです」

北岡は剣呑な目つきのまま首をひねった。

「その歳で婚約しているのか」
「し、していますけど……?」

琴子はついドモってしまった。

「なんでドモった。ここまでビビる素振りすら見せなかったのに」
「それは……、その、……予定なんです」
「婚約が?」
「はい……」
「それって約束してないってことだよな? 一方的に婚約? ヤバくないか?」
「ヤバくないです。婚約についてはちょっと盛ってしまいましたが、愛は確かめ合っています。心も体もこれ以上ないほど強く、つよーくです」
「そうなのか……」
「そうなのです。婚約は言わば確定した未来ですから、ヤバい奴認定される謂れはございません」

きっぱりと言い切った琴子に、北岡はとても微妙な顔を浮かせると、銃をホルスターに戻した。

「ま、婚約うんぬんはどうでもいいとしてだ。しょうじき俺にはお前たちが本当に悪魔側なのか判断がつかん。なんで、忠告だけしておいてやる」
「忠告、ですか。有り難く拝聴します」

ああ、その前にと、北岡は思索するような顔つきで言う。

「もう一つだけ聞いておく。お前のお兄様に同じ質問をしたとして、そいつはお前と同じ答えを口にすると思うか?」
「一応尋問を受けた際の取り決めはしています」
「どっちだ」
「基本的には悪魔と。ただそれは尋問を受ける状況や相手次第でいかようにも変わりますから、最終的にはお兄様ご自身が判断なさいます」

北岡は「それもそうか」と納得したように頷き、それから琴子の腕を取って通用口に向かって歩き出した。

「佐橋と合流したあと、アイツは必ずお前に所属を尋ねるはずだ」
「でしょうね」
「神と答えろ」
「……理由を聞いても?」
「お前が生かされる可能性が上がる。処遇は委ねるって約束だし、俺は佐橋と揉めてまでお前を擁護するつもりはない。
だから死にたくないなら神と答えておけ。お前たちが本当に悪魔の側なら尚さらな」

北岡のそれはつまり、佐橋が神の陣営であると明かしているに等しい。
しかしだからといって、琴子はそれを鵜呑みにするほど愚かではない。
ないが、この場面で北岡がこちらを騙しにかかる理由が見当たらない。
彼は今この瞬間にでも琴子を殺せるのだ。こんなに回りくどい手を使って琴子を嵌《は》めるくらいなら、とうの昔に始末しているはず。

故に琴子はほんの少しでも判断材料を増やすべく問いかけた。

「そう仰る貴方はどちらなのですか?」
「俺か? 俺は――」

北岡は獰猛に笑った。

「神の手下だよ」

ほどなくして、琴子はこのゲームに内包される要素『敵味方の切り分けは自己努力で』が、いかにやっかいであるかを痛感していた。
たまったものじゃない。

「初めまして円成寺琴子さん。私は佐橋澄《さはしすみ》、悪魔の陣営に属しているわ」

あろうことか、澄は琴子に尋ねるよりさきに自身の所属を明かしてきた。しかも、ついさきほど北岡から示唆されていたものと真逆の所属をだ。

「あなたは私の味方? それとも敵なのかしら。教えて頂戴」

言って、こちらに向けて銃を構えた澄を睨めつけながら、琴子は胸の内で舌を打った。

(……面倒なことになってきましたね)

クロ

クロ

自作小説を投稿しています。成年向けの内容を含みますので18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。
ノクターンノベルズにて「神様のゲーム」連載中です。 ゲーム版の公式サイトはこちら