悪魔の章 031.琴子の第二戦

円成寺琴子はみずからの能力《ちから》を正確に把握している。

気位が高いことは自他ともに認める一方、決して自信家ではなく、また楽天家でもない。
少なくとも琴子本人は自身を臆病な人間であると考えている。
他者から見たとき、彼女の発言・行動において豪胆に映る場面があったとしても、それは琴子なりに根拠を積み上げ、論理を組み立てたうえで行動に移している。
が無論、すべての行動に対し、いつ何時《なんどき》も論理が立つわけではない。
いわゆる勝負勘・勝負所なる、感性を重視しなければならない場面があることを、琴子はわきまえているし、それらを過小評価もしていない。
そんな彼女だからこそ、あの初戦をものにできたと言えよう。
あれは理だけでは勝てなかった。
琴子は正しく運を評価し、そしてそれを正しく用いた。

その琴子をして感じずにいられなかったことがある。

――わたくしは天に愛されている。

無理もない。
琴子は神様のゲーム、悪魔のゲーム、そのどちらにおいても、そう確証していいだけの悪運を享受してきた。
だが、そんなものはまやかしだ。たまたまだ。単に運が良かっただけだ。
幸運であろうと悪運であろうと、永劫に続くものではなく、また享受し続けられるものでもない。もっとも、そういった異常なまでの運を発揮する人間が、世の中に存在することは否定しないが。

いずれにせよ、円成寺琴子は“そちら側の人間”ではなかった。
事実、琴子にとっての第二戦は『不運』と評するしかない始まりだったのだ。

琴子が青の扉をくぐってまもなく。

『ゲームの内容は極めてシンプル。鬼ごっこです。今から三時間のあいだ――』
「…………」

もはや聞き慣れてきたといってもいい、体の内側から響いてくる声を知覚しながら、琴子は周囲に首を巡らせた。
まったく見覚えのない大きなフロア。天井は高く、背後には大きな階段がある。
近くにはコーヒーショップらしきものあり、遠くにはエレベーターホールが見え、その逆方向には出入り口と思われる自動ドアが確認できた。

「商業ビル? でしょうか」

その規模感からかなりの高層ビルだ。
琴子が初期配置された場所はその一階エントランスだと思われる。

『都庁を中心に半径1.5キロ、直径3キロメートルの円陣内がゲーム会場です』
「都庁……」

呟き、琴子は無自覚に顔を渋くさせた。
それから琴子は周囲に人気がないことを確かめたうえで、手近の窓から外を窺い見た。

『なにぶん広大な空間ですので、鬼がプレイヤーを見つけ出すのは容易ではありません。そこで鬼・プレイヤー双方に互いを探知する方法を設けることとしました』
「……お兄様ではないですけど、まったく今日のわたくしは出来がいいですね」

その独白は無論、自己礼賛ではなく自嘲のたぐいだ。
なにぶん外れてほしかった予感がことごとく当たってしまっている。
開幕から壮士と分断されてしまったこともそう。ゲームの内容もそう。
もちろん琴子もピンポイントでゲームの内容を予想できていたわけではない。しかし壮士の『耐える系統』という発想を頼りに、魔阿と対峙させられることは予期していた。
壮士曰く『ポンコツ』な琴子にとっては非常にアゲインストなゲームと言えよう。
悪い材料はまだある。

「お兄様、聞こえますか? 応答を」

琴子は新宿に土地勘がなかった。
訪れたことは何度もある。だが、そのほとんどが車での移動で、建物名はおろか東西南北すらわからない。駅なんて論外だ。そもそも新幹線以外の電車に乗ったことすらない。
つまり壮士に対して正確な位置を説明できない。これが痛い。
故に琴子は窓から見える景色を片っ端から脳に刻み込んでいく。壮士に見つけてもらう助けとする為にだ。

琴子は周辺状況を記憶しながら考える。

(容易に侵入できるこのフロアに留まるのは良くない。せめて2階か3階に――いえ、脱出経路の確保を優先したほうがいいか。プレイヤーから隠れることはできても、ソナーがある兼ね合いから鬼はかわしきれない)

そうしてこの、わずか数十秒に満たない営みが、琴子に決定的な不運をもたらした。

『ゲームスタートです』
「――動くな」

ゲームが始まったと同時に、背後から男の低い声が聞こえた。

「頼むから動いてくれるな。できれば子供は殺したくない」
「…………」

拝啓、天運様。いかがお過ごしでしょうか。
貴方様からたびたびご寵愛を賜っている円成寺の現当主、琴子でございます。
一戦目においてはバレッツ、あるいはロイヤル・ストレート・フラッシュなる豪運をくださり感謝の念が絶えません。
その節は大変お世話になりました。
もっとも、あのゲームは負けるが勝ちという質のもの。せっかく賜った豪運もありがた迷惑以外の何物でもありませんでした。
しかしそれはそれです。
母から聞き及ぶところでは、何かと我が一族を目にかけてくださっているとのこと。
円成寺の女として、また現当主として、一党を代表して深く御礼申し上げます。
ときに天運様? 話は変わるのですが、

(……いくらなんでも見放されるのが早すぎませんか?)

そんな琴子の嘆きは現実の前には無力だ。

「酷なことだとは思うが5秒以内に決断しろ。抵抗しなければ命は保証する」
「その言葉を信じろと?」
「それが答えということでいいか?」

カチリと、撃鉄であろう硬い音が聞こえた。

「投降します。殺さないでください」

選択の余地がなかった。

そうして晴れて虜囚の身となった琴子。
しかしその扱いについては、琴子が想像していたよりもずっと紳士的なものにとどまっていた。
拘束されているのは、後ろ手に親指と親指の付け根を結束バンドで固定されているのみで、足は自由に動かせるし、口も塞がれていない。
脅しは無く、暴力もなく、ついでに述べればエロいことだって一切されていない。
さすがに武装の一切は奪われてしまっているものの、それは当然の措置だ。
精神・肉体の両面で負荷を掛けられていないという点だけ切り取ってみても、紳士的な扱いを受けていると表現して差し支えないだろう。

琴子をそんな状態にした男――北岡と名乗った男性が、地べたに座るこちらを見下ろして言う。

「ここで大人しくしていろ。あらかじめ言っておくが、妙な素振りが見えたら警告なしで殺す」
「承知しました」

そう短く応じても、北岡はこちらの内心を見透かさんとするような冷めた目で見下ろしたままだ。
故に琴子は小さな溜息をつき、

「後ろ手に拘束され、武器もすべて奪われています。たとえこの場を逃げおおせたとしても、鬼か他の誰かに殺されるのがオチでしょう。そこまで愚かではありません」
「物分りがいい子は嫌いじゃない」

北岡は平坦な声で言って、琴子の耳からインカムを抜き取った。

「ひとりじゃないよな? 何人で組んでいる? さっき呼びかけていた“お兄様”ひとりだけか?」
「…………」
「お兄様の名前は? 歳は? どういう奴だ? お前たちが所属する陣営はどっちだ?」

琴子は唇を結び、無表情の沈黙を貫く――と、北岡はこれといった感情の色を示さないまま、

「まあ、いい。暫く大人しくしていろ」

言って、北岡は腰から無線機を引き抜きながら部屋の対面に移動した。
琴子は室内に眼球を巡らせながら考える。

(さて、どうしたものでしょうか)

琴子が連れて来られたのは初期配置されていた高層ビル――その二階に位置するフロアの一角だ。
ここへの移動がてら分かったことがいくつかある。

まず琴子が拘束された経緯だが、これはもう不運としか言いようがない。
北岡が言うには、彼は同ビルの2階フロアに初期配置されていたらしく、魔阿の説明を受けている時点で既にこちらを捕捉していたそうだ。
背後から琴子の動向を窺っていた北岡はゲーム開始と同時に琴子を捕縛。それだけの話だ。

次に琴子を拘束の憂き目に遭わせてくれた北岡なるこの男について。
下の名前は名乗らなかったので知らない。
年齢は恐らく30そこそこと推察する。
背丈は壮士よりも高いことから180近くあるかもしれない。140そこそこの琴子にすれば、威圧感を覚えるような背丈なうえ、体つきもがっちりしていて、かなり鍛えられているように思えた。
肉体に比例するわけではないだろうが、内面についてもおおよそ優男とは縁遠い感じだ。
とはいえ、特別口が悪いわけでも言葉遣いが汚いわけではない。ただ、声の抑揚や言い方から、どこかぶっきらぼうで突き放すような印象を覚えてしまう。もちろんそれらは、置かれた状況や琴子への警戒感から来るものだろう。
なので内面は暫定的な評価に過ぎないが、

(まあ、悪人ではないのでしょうね)

ここに至るまでの対応を鑑みれば、そう判断するのが妥当だろう。
できれば子供は殺したくない、という言葉。殺されなかった事実。最低限の拘束。痛めつけることはせず、恫喝もしない。
捕縛されはしたが、逆に言うと捕縛で済んでいるとも評価できる。
相手が北岡でなければまた違っていたはずだ。
であれば、ぞんがい琴子は未だ天に見放されていないのかもしれない。
いずれにせよ、

(当面は従う他ありませんね)

北岡は迂闊な男ではない。事実、服の袖に仕込んであったカミソリまで取り上げられてしまっている。
逃げる手段は無く、そして逃げたところで琴子自身が口にしたように殺されるのがオチだ。この広大なフィールドのなか、インカム無しで壮士に巡り合うのは至難だ。
そもこの不幸を、幸運に書き換えることができる目だってある。

第二戦の前に琴子は壮士にこう告げている。

――協力者を募ります、と。

北岡のことはまだまだ未知数だ。が、現時点で少なくとも迂闊な男でないこと、武装していること、救いようのない悪人でないことはわかっている。
琴子の敷いた基準のなかで彼は協力者候補たりえた。

そんな算段を琴子が立てているあいだも、北岡はジッとこちらを観察するような目で舐めていた。その状態のまま、彼は左手に持つ無線機へ向け、

「例のプレイヤーを捕らえた。イレギュラーはなし。
武器はすべて取り上げて拘束してある。あと、インカムを持っていた。他に仲間がいるみたいだ。数は不明。それ以外の情報も今のところ聞き出せていない。そっちの現在位置はわかったか?」

そんな北岡の声は小さいながら聞こえるが、ボリュームを絞っているせいか、通信相手の声は聞こえなかった。

「そうか。少し待て」

言って、北岡が直ぐ目の前まで近づいてきた。

「インカムのスペックを把握しているか?」

刹那、琴子は迷い、だが即座に北岡と通信相手の意図を汲み取り、

「遮蔽物なしで1000メートルです」

北岡は無言で首肯し、琴子の目の前で無線機のボタンを押した。

「遮蔽物なしで1000メートルだそうだ。こっちが佐橋のところに合流する」
『こちらに移動しても通信できるとは限りませんよ』
「まあ、試してみようじゃないか」
『その子を連れて移動するんですか? かなりリスキーだと思いますけど』
「どのみち放ってはおけない。子供だ」
『人を殺している子供です』
「俺とお前は人殺しの大人だろ。なにが違う?」

それを受け、佐橋なる女の声が数秒止まった。

『だったら。始末するかの判断を私に預けてください。それが呑めないなら、私は北岡さんと手を切ります』
「いいよ。俺も命を賭けてまでどうこうするつもりはないし」
『手頃な場所を見つけて陣地化しておきます。気をつけて』
「悪いな」
『……いえ。通信終わり』

北岡は困った風に苦笑い。
それから彼は無線機を腰に差し込み、琴子の腕を引き上げた。

「というわけだ。移動するぞ」

琴子は小さく溜息をつき、呆れたように北岡へ告げる。

「わたくしとしては、今直ぐ拘束を解いて、武器を返していただければそれで良いのですけれど?」
「勘違いするな」

北岡は銃を引き抜き、琴子を先導するように前を征く。

「プレイヤーは少ないに越したことはないんだ。解放するぐらいなら殺す」
「つまり安い偽善に過ぎないと」
「そういうことだ。物分りがいい子は嫌いじゃないぞ」

北岡は小さく鼻を鳴らし、出会って初めて琴子へ向けてささやかな笑みを浮かせた。

「お前の命は俺の相棒とお兄様次第だ。助かるようせいぜい祈るんだな」

クロ

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