悪魔の章 030.佐橋澄(下)

琴子を拐《さら》った女が指定したB11番出口近く。
その近隣に位置する、とあるテナントが三人の会談場所となった。

「この事務室なら普通に話しているぶんには音が漏れないわ。出口は東西に二箇所。万一鬼が接近した場合に備えて、どちらの出口にも簡単なトラップを仕掛けてある」

そう女が話し終えたと同時に、事務室に入ってきたのは壮士だ。
問うような目を向けてきた琴子に対し、壮士は相棒をホルスターに収めながら首肯を返した。

「確かめた。問題ない」
「結構」

琴子は頷き、女に首を巡らせた。

「改めまして。円成寺琴子です」
「桐山壮士だ」
「佐橋澄《さはし・すみ》よ」

そう名乗った佐橋澄の表情はやや険しく、声も低い。
壮士たちと出会った経緯、あるいはいま置かれている環境を思えば、彼女に警戒感が残っているのは無理からぬことだろう。

「ひとまず。この場はわたくしが仕切らせていただいても?」

尋ねた琴子に、澄は黙して顎を引いた。

こうして改めて見ると、なかなか容姿が整っている女性だ。
二重の瞼。吊り目がちな目は琴子と似た方向性だが、妹候補のような可愛さは微塵も感じない。スラッと通った鼻と高い身長、そして二十代半ばであろう年齢も相まって、精悍さと少しの色気を感じる。
後者を感じるのは、肩上までの黒髪を小さな尻尾に縛っている兼ね合いから、うなじが見えている――そのせいかもしれない。

「お兄様、佐橋さん、双方ともに知りたいことは多々ございましょうが、まずはお兄様だけが得ている情報を共有していただきたく存じます」

これに壮士は片眉を持ち上げ、数瞬のあいだ黙考したうえで、

「鬼の件か」
「はい。現状わたくしたちにとって最も重要な情報です。マアさんを打倒されたそうですね」

それを受け、澄の鋭い視線もまた、壮士へ向けられた。

「打倒ってほどのことじゃない。おびき寄せて爆破しただけだ」
「ばくは……?」
「ふふ、それはそれは」

唖然とする澄。クスリと笑う琴子。
二人の様子に、壮士はちょっぴり衒気《げんき》を満たされつつ、魔阿を殺《や》った状況を二人に話して聞かせた。

「――という感じだけど、ぶっちゃけアレはマアも初見だったろうし、苦し紛れの小細工が上手く嵌ってくれただけだ。もし正面から迎え撃っていたなら殺されていたよ。ぜったい」
「やはり生身の人間では殺せませんか……」

顔をしかめた琴子に、壮士は肩をすくめてみせた。

「正攻法ではまず無理だ。ひとり殺られてるとこ見てたけど、膂力《りょりょく》は熊並、足の速さは世界記録保持者並って感じだ。もしマアの打撃を腕で受けようもんなら骨までイかれかねないな」
「そのうえ耐久力も化け物じみていると」

そう呟いたのは険しい顔をした澄だ。

「至近距離で手榴弾を喰らっても即死しないくらいはタフだ。といっても瀕死だったけど。銃は通用する。当たれば傷を負うし、急所を撃ち抜ければ即死もする。あの感じだとナイフも有効だと思う。なんで、殺せないわけじゃない」

もっともそれも時間稼ぎに過ぎない。
たとえ鬼を殺せたとしても時間経過と共に復活する。
だいたいからして、あの膂力《りょりょく》なら殴った瞬間、魔阿の腕のほうが砕けて然るべきなのだ。だって銃で撃てば体に穴は空くのだから。
けれど、そのあたりの物理法則うんぬんは考えるだけ無駄なのだろう。
神も悪魔もその使徒も全員が化け物。それで説明がついてしまう。

続いて澄が尋ねた。

「ソナーの感知範囲はわかりますか?」
「確かなことは言えないけど、最大で100メートル程度だと思う」
「想像していたよりは広いけど……」

そう呟いた澄と同意見なのだろう。琴子の表情も冴えない。
気持ちはよくわかる。
ソナーの音が聞こえるということは、短距離走の世界記録を持つ鬼が100メートル以内に接近しているということを意味する。下手をすると10秒足らずで追いつかれ、プラス10秒もあれば余裕で死ねる。
身の毛がよだつ話だ。

とそこで、壮士はふと疑問を覚えた。

「佐橋さん、あんたその銃はどこで手に入れた? 扱いにもずいぶん慣れた感じだったけど……」

その質問を受け、琴子も興味が灯った目を澄に向けた。
壮士としては真実意外だった。
澄の銃もそうだが、ここへ向かう道すがら出くわしたプレイヤーに至ってはアサルトライフルまで装備していたのだ。
壮士も琴子も当初から、みずからが持つ装備の数々は他プレイヤーに対する大きなアドバンテージだと考えていた。ところがこの短時間のあいだに、その優位性を覆す存在と二人も出会っている。

「自衛官なんです、私」
「ああ、それで……」
「でしたら、まさかとは思いますけど、その銃は駐屯地からくすねてこられたのですか?」
「そんなわけがないでしょう?」

澄は苦笑いして言う。

「自衛隊の火器管理はそんなに甘くない。弾の一発だって持ち出せないわ。この銃は悪魔が用意してくれたものよ。あなたたちのもそうよね?」
「は……?」
「え……?」

とぼけた声を漏らし、互いの顔を見合う壮士と琴子。
一拍遅れて訝しげな顔を浮かせたのは澄だ。

「……まさか自前で用意したとか言わないわよね?」
「わたくしたちの装備はすべて自前です」
「手榴弾も?」
「はい……」
「はいって、あなた……」

静まり返る事務室。
壮士は目頭を指でもみながら言う。

「えっと……、うん? あれ? 悪魔に頼んで用意してもらったの?」
「そうですけど……」
「その無線機もですか?」
「そうだけど……?」
「おい、参謀殿よ。どうやらジジイに頼めば、なんだって用意してくれたらしいぞ?」
「……発想自体ありませんでした」
「これだから上級国民は……」
「お兄様だって思いつかなかったでしょう?」
「まあ、そうなんだけど」

ゲームが始まって初めて明るみになる衝撃の事実だった。
となると、銃程度はどのプレイヤーも持っていておかしくない。神の陣営もそうだろう。陣営間の公平性は保たれるという約束だ。

「そういや、ここへ来る途中に他のプレイヤーと撃ち合いになったって、無線で話したよな?」
「ええ、仰っていましたね」

頷いた澄に、壮士はうんざりした顔で告げた。

「アサルトライフル持ってた。発煙手榴弾も」
「ということであれば、装備の優位性は無いものと考えたほうが良いでしょうね」

琴子がそう、面白くなさそうな顔をして言うのは、いらぬ金と手間を掛けてしまったことが原因に違いない。
というより、実際に手配を担当したであろうなっちゃんが不憫でならない。
哀れ、ちょっとだけデレてくれるメイドさん。
ともあれ、

「ちなみにこれ、参謀殿はどう思うよ」
「これは?」

壮士が琴子に手渡したのは撃ち合いになったプレイヤーが残していったメモ紙だ。

「Good Luck. from A ですか」
「そのメモと一緒にチョコ菓子くれたんだけど、なにか思い当たることがあるか? もちろんA氏に心当たりはない」

琴子はほんの数秒ジッとメモを見つめ、それから紙を壮士に返した。

「いいえ、特にこれといっては」
「……そうでもなさそうな顔に見えるのは、俺の気のせいか?」
「気のせいですよ。本当に思い当たることはありません。今のところは、なにも」
「じゃあ、このさき思い当たることがあったら教えてくれ」
「承知しました」

そこが頃合いと思ったのだろう。いいや、澄はずっと我慢していたのかもしれない。

「そろそろ話してくれないかしら。
円成寺さんはどういう手段を使ってここに来たの? あなたの拘束は万全だった。あの場所にはトラップも施していた。北岡さんは迂闊な人じゃない。彼はなぜ死んだの? あなたじゃないなら、誰が彼を殺したの? そこをクリアにしてもらわないことには、あなたたちと協力関係は築けない」
「俺としては、琴子がとっ捕まった経緯から聞かせてほしいんだけどな」

大人二人からの厳しい視線を注がれ、琴子はほんの少し眼球を右上に向けた。
彼女の視界――否、壮士・澄の視界の端にも鬼ごっこの残り時間が表示されている。

「無論、お二人の疑問にお答えします。ですがその前に移動しませんか?」
「どこへ?」

冷めた声で尋ねたのは澄だ。

「わたくしが拘束されていた場所へ」
「ここじゃ話せない――ってことじゃないんだよな?」
「はい。移動する理由は二つ。一つは装備の回収です。なにぶん急いでいましたから、大半を残したままになっています。
第二戦が始まって丁度一時間が経過しました。
わたくしが拘束されていた建物はこの場所から見てフィールドの外側に位置します。第二戦が行われているフィールドは都庁を中心に直径3000メートル。これは時間経過と共に狭まっていき、最終的に直径200メートルまで縮小されます。
毎分約8メートル縮小される計算になりますが、ここで長話をしていると貴重な装備を回収する機会を逸するかもしれません。
理由の二つ目はお二人に現場を――正確には北岡様のご遺骸を確認いただくことが目的です」

自然、壮士と澄の表情が険しさを増した。

「特にお兄様のご意見をお聞かせいただきたいです」
「俺の意見……?」

つまり、その北岡とやらの遺体を確かめた壮士の見解を聞きたいということだが、壮士としてはまったく不可解きわまりない話だ。
その男のことは何も知らないし、壮士は検死官でもなければ、その手の知識も特段備えているわけではない。医学方面では琴子のほうがよほどモノを知っているだろう。

「いいわ。移動しましょう。危険はないのよね?」
「ないとは申しませんが低いと思います」
「どこに居たって危険はあるだろ」

そう嘴を突っ込んで、壮士は澄に目をやった。
澄は数瞬黙考したものの、

「わかった。行きましょう。北岡さんには助けてもらったし、弔いくらいはさせてもらわないとね……」

そうして三人は、琴子が拘束されていた場所へ移動を開始した。

その間、三人のあいだで会話はほとんど交わされなかった。
鬼はもちろん、他プレイヤーに発見されるリスクを避けるためだ――が、

「ところで桐山さんっておいくつなんですか?」
「24」
「25歳です。先月わたくしと奈津で盛大にお祝いして差し上げたではないですか」
「あー、そうだった」
「お兄様は薄情ですね」
「ちょっと忘れていただけじゃないか」
「ですから、忘れる程度だったということでしょう? 帰ったら奈津に言いつけますからね」
「やめろよ。せっかく最近デレるようになってきたのに……って、そういうあんたはいくつよ?」
「25」
「なんだタメか」

あいにく壮士は、澄のそれに「です」が抜けていることに気づかなかった。

「私のほうが年上なんだから、敬語使いなさいよ」
「……あん?」
「先月ってことは2月生まれよね?」
「だったらなんだよ」
「私は来週26になるの。ってことは私のほうが学年はひとつ上よね?」
「…………」
「敬語使って損した。年下じゃない」
「社会人にもなって、まだそんなこと気にしてんの? 時代遅れの体育会系かよ」
「自衛官だからね。序列は重んじられるの」
「俺は自衛官じゃない」
「確かに。お兄様は無職ですものね」
「琴子は黙ってなさい」
「礼儀の話でしょう? 敬語使いなさいよ、無職ニート」
「ほら、琴子が変なこと言うから、お兄様がディスられてるじゃないか」
「たとえニートでも琴子はお兄様を敬愛しています」
「いやだから、お前のせいでディスられてるんですけど?」
「今後は『佐橋さん』って呼ぶのよ? むしょ――桐山クン」
「わかったよ、澄。愛してる」
「あのね……」

というやり取りがあったことを記しておく。

クロ

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