悪魔の章 029.佐橋澄(上)

「万一愛しいお兄様を撃とうものなら、その頭に鉛をぶち込みます。オーケー?」

言って琴子が一歩、女との距離を詰めた。

「ぐっ……」

壮士は下手に動くことはせず、顔を歪ませている女の一挙手一投足に目を光らせた。
前面に壮士、背後に琴子。綺麗に挟み撃ちした格好となったが、これで状況が決したなんて壮士は思っていない。
女は琴子に背を晒していても、依然彼女の銃口は壮士を捉えていて、壮士は無手のまま。
女が持つ自動拳銃には見覚えがある。通称9mm拳銃と呼ばれる代物で、人ひとり殺すには充分な殺傷力を備えている。
壮士と女の距離は十メートル余。さらにその数メートル後方に琴子という位置取り。この距離なら、もし女が撃ってきても致命傷を避ける自信がある。あるが、曲がり間違って脚なんかにまともに食らおうものなら、以降のゲーム続行は絶望的だ。予断は許さない。
そもそも、

(俺がコイツの立場なら、たぶん投降しない。いや、できない)

突っ張れば盤面をひっくり返せる余地があるが、投降してしまえば生殺与奪のすべてを相手に握らせることになってしまう。
壮士にはおおよそ取れない選択だ。
琴子が現時点で女を殺す意思を持っていないことは明白だ。でなければ投降を促すはずがない。声なんて掛けずにサッサと撃ち殺していただろう。
だがそれを以って、女の命が保証されるわけではない。

「銃を捨てなさい、早くッ」
「ッ……」

女の揺れる瞳が、その内側を見透かさんとばかりに壮士を捉えている。
彼女を躊躇させている原因は壮士なのだ。
殺す動機は十分。普通に考えれば、琴子が兄と呼称する壮士のほうが力関係が上と考える。即ち琴子の意思が尊重されるとは限らない。否、投降なんてしたらこの男に殺される、そう考えても何ら不思議ではない。
少なくとも壮士であれば、イチかバチかに打って出ると思う。それだって絶望的な分の悪さとは言えない。
だからこそ、

「俺のことはいい、撃て」
「――ッ!」

琴子の手を汚させるのは忍びないが、早く終わらせたほうがいい。
どのみち壮士がなにを言ったところで女の猜疑心が晴れることはない。即座に投降しないということは、つまりそういうことだ。こんなお見合いを続けていたら琴子の身に危険が及ぶかもしれない。
琴子がこの女をこちらに引き入れたいと思っていることは察している。壮士にはまだ判らないが、琴子のお眼鏡に適う何かがあるのだろう。琴子を拐い、今こちらに銃を向けている彼女に、壮士の命を危険に晒すだけの価値があると。
そう琴子が判断したが故の膠着だ。

正直わからないことだらけだ。
琴子が捕まった経緯。拘束を抜け出し、ここへたどり着けた理由。女の相方の所在とその生死。なにぶんワル琴子のすることなので、わざと捕まった――なんてセンまであるかもしれない。
だがそれはあとで話を聞けば済むことだ。
今は一刻も早くこの女を処理して、どこかに隠れなければならない。周囲は敵だらけで、壮士らは鬼ごっこの真っ最中なのだから。

琴子はしかし、

「お兄様は黙っていてください」

それを以って、壮士は決断した。

「もういい、俺が殺る――」

壮士の右手が腰に伸び、女の空気がいよいよ差し迫ったそのとき、

「二度は言いませんッ!」

手を止め、じろりと睨みつけた壮士に、琴子は遜色ない睨みで応えた。

「命令に従いなさい」
「……Yes,ma’am」

睨む目はそのままに、壮士は両手を持ち上げて了解を意思表示。
と、琴子は銃をホルスターに収めたのち、こちらに向かって歩き出したかと思えば、あろうことか女の横を素通りして、さらには眉をハの字に曲げながらこちらの胸を立てた指でつんつんとつつき、

「助けに来てくださったのは嬉しゅうございますが、お兄様は引っ込んでてください」
「おい……」

たしなめるように言うこの子はわかっているのか。今この瞬間、確保していた優位性をみずから手放したことを。事実、琴子の暴挙に唖然としたのは壮士だけではない。琴子の肩越しに女が大きく目を見開いている。
琴子はしかし、気にした素振り一つ見せずに、

「ステイです」
「お前――」
「返事は?」
「ワンとでも言えってか……?」
「ステイです、お兄様。返事を」

服従を誓約している壮士は答えるしかない。

「ワンだコノヤロウ」
「よろしい」

琴子は満足気に頷き、壮士の腰から相棒を引ったくると、またまたあろうことか自分の銃と一緒にそれを床に置いて、女に向かって蹴飛ばした。

「ご覧の通り、こちらの狂犬はよくよく手懐けております。暴発はさせませんのでご安心ください」

これにはさしもの女も困惑を超えて混乱したらしい。

「なに考えてるの、あなた……」

琴子は薄く微笑んで両手を持ち上げる。

「信用を得るためには相応の誠意を示さねばなりません」
「……言ってることは立派だけど、あなたのしていることはただの自殺行為よ?」

琴子はゆるゆると首を振りながらゆっくりと一歩、女との距離を詰めて言う。

「そうでもありません。こう見えて私は楽天家でも自信家でもありませんから。むしろ猜疑心の塊のような女です」

言ってさらに一歩、琴子は前に進む。
壮士は今すぐにでも琴子の首根っこを引っ張りたい衝動に駆られたが、それが自分の役割だと言い聞かせて我慢することにした。
もう慣れっこだ。この子に驚かされることも、振り回されることも、心配させられることだって。壮士のできることは琴子を見守り、やりたいようにさせて、そしてもし彼女が仕損じたときにはすべてを投じて護ってやる、それだけだ。

「ですから、わたくしなりの根拠があってしていることです。
こうしてわたくしがこの場に現れた以上、もはや貴女は撃ちません。逃げもしません。銃を下ろし、言葉を交わして、利があればわたくしたちと与します」
「……本当にそうかしら」

女の向ける銃口が壮士から琴子へと移った。
それでも琴子は歩みを止めない。

「そうですとも。そう思う根拠のいくつかを披露しましょう。
一つ。貴女は、このゲームを独力で勝ち残ることが極めて困難であることを理解しています。
一つ。貴女はお兄様と接触するにあたり、私にも同じ質問をしましたが――」
「あなたは神の陣営だって言ったわよね?」
「言いました。なのに貴女はわたくしを殺さず、お兄様と接触することにしました。貴女が悪魔の陣営に属するにも関わらずです」
「それはあなたのためじゃない」
「存じていますとも。北岡様を思ってのことですよね?」

答えた瞬間、女の銃口がとうとう琴子の胸に埋まってしまった。
琴子は険しい女の眼差しを微笑で受け止めながら、

「その北岡様は神の陣営である、その一点が、わたくしが貴女を買った一番の理由です」
「…………」
「つまり貴女は、彼が神の手先であると承知の上で手を結んでいたということ。その懐の深さ、情より利を優先できる性分を評価したのです。わたくしは」
「……彼は生きているの?」

琴子は哀切を顔に貼り付けて首を振った。
つまりその北岡とやらは、もうこの世に居ないということを意味していて、

「そう、残念だわ……。あなたが殺ったのよね?」
「いいえ、北岡様に請われ、とどめは刺させていただきましたが――」
「そんな与太話を信じるとでも思っているの?
鬼に殺られた? 他のプレイヤーに襲われた? ……ないわ。
もしそうなら、どうしてあなたは無傷でここに駆けつけられたの? あの場所は簡易的に陣地化してあるし、トラップも仕掛けてある。あなたの拘束も万全だった。
まして北岡さんは迂闊な人じゃない。もし鬼やプレイヤーから襲撃を受けたとしても、最低限、無線で救援を呼ぶくらいのことはする人よ。
ようするに大した話じゃない。あなたが私たちに嘘をついていた。それだけのことじゃないの?」

琴子は女の質問に答えない。答えない代わりに、

「今際《いまわ》のきわに北岡様が仰いました。――彼女を殺さないでやってくれ、いい子なんだ、と」
「っ……」

瞬間、くしゃりと顔を歪めた女に、琴子は同情の眼差しを向けた。

「死を間際にした人は嘘をつきません。北岡様のお言葉が、貴女が撃たないと思う最大の理由です。ですから。銃を下ろしてください」

琴子が首を傾けて手のひらを持ち上げると、女は数秒沈黙したのちに抜けるような溜息をついて、琴子の手に銃を乗せた。
琴子は受け取った銃を女のホルスターに戻してやり、それから足元に転がる二つの銃を拾いながら、

「いつまでもここに居ては危険です。安全を確保した部屋とやらに案内してください。詳細はそちらで話します」
「ええ……」

弱々しく答えた女の目は、近づく壮士に向けられている。
その瞳にいくばくかの不安が宿っていることに気づき、だから壮士は女の横を通り過ぎざま、

「わん」
「わん?」

キョトンとした顔の女が壮士を振り返る。
もっとも二人を置き去りにB11を目指す壮士に、その顔は見えていなくて、

「心配しなくたって殺しゃしないよ、なんせ俺は首に輪っか嵌めらた犬っころだからな」

言ってヒラヒラと手を振りつつも、全周警戒しながら先行する壮士。
そんな壮士のあとを女と琴子が並んで追う。

「桐山さん」
「なんだよ」
「色々とごめんなさい」
「いいよ別に。済んだことだ」
「あと、悪口とかじゃないんですけど……」
「あん?」
「なんというか、凄いご主人さまですね。良くも悪くも」

壮士は深い苦笑を刻みながら言ってやった。

「だろう? 変態なんだ、ウチのご主人さまは」

そんな壮士の評価に、琴子が大いに拗ねたのは語るまでもないことだ。

クロ

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