悪魔の章 022.琴子の初陣(三)

「……フォールドですッ」
「本当にそれでいいの?」

琴子が敗北を宣言したと同時に、花子がわざとらしく目を見張った。
続けて彼女は口元に手を添えると、理解できないとでも言わんばかりに眉をハの字に曲げて、

「降りるべきじゃないわ。円成寺ちゃんは『Aのスリーカード』が確定しているのよ? 対して私の手はどう見たって『10のスリーカード』が天井じゃない。ここはオールインするべきよ」

言って、こちらを小馬鹿にするようにニヤつく花子。
アドバイスの体《てい》を取ったそれは“煽り”以外の何物でもない。

琴子は疑念を確信に引き上げざるを得なかった。

(……逆手に取られた)

一戦目で起こった出来事を時系列に並べて考えれば、そう判断するしかない。

琴子の手札にバレッツが来たこと。
イカサマの有無、及び、その首謀者を絞り込むために手札を明かしたこと。
バレッツについて、花子への嫌疑がほぼ晴れていたこと。
花子の「だいたいわかった」というセリフ。
直後のレイズ3発。
そして最後に「降りるべきじゃない」というセリフ。

つまり花子は、琴子がバレッツを明かしたことを足がかりにこちらの考えを看破し、さらにはそれを逆手に取ってレイズに打って出たということだ。
もちろん琴子が降りることを見越してだ。

琴子は唇を噛み、己の不明を呪う。

経緯はともあれ、結果的に琴子は降りた。
いや、正確には降りるよう仕向けられたのだが、降りたからには引き金を引かなくてはならない。
琴子の賭け額は2発。確率は約33%。当たりを引く確率の方がずっと低い。

それ自体は予定通りだ。琴子は最初から一戦目を捨てるつもりでいた。
一度の敗北は言わば必要な投資だ。
でなければ、確実に勝利することはできない。これはそういう仕組みのゲームだと、琴子は承知していた。
だから役で負けようと、自分から降りようと、無理やり降ろされようと問題ない。もちろん賭け額については気を遣っていたが、負けは負け。予定通りだ。

問題はそこではないのだ。

(どうする、このままでは確実に殺られる)

仮に当たりを引かなくとも、そのあとが続かない。
勝ち筋をまったく見出だせなかった。詰んでいると言ってもいい。
イカサマはある。恐らく。
あると断定できないのは、その手段が判らないからだ。
できる限り環境を整え、これだけ注視していたにも関わらず察知できなかった。この先もきっと察知できないだろう。
手段が判らなければ異議を唱えたところで黙殺されるのがオチ。神威の独断、かつ花子と意思疎通もしていないだろうが、それがなくとも花子は勝手に利用する。
だから琴子は勝てない。絶対に。

(まずい、本当にまずい、どうにかしないとッ……!)

頭のなかでけたたましくアラートが鳴っている。
終わる、のだろうか。何も成していないこんなところで。壮士をひとり残したまま。

油断なんてしていなかった。警戒だって十分していた。
敵方のただ中にあって、なんとか勝ち筋を見出し、怠りなく手順を踏んでいたのに、なのに。

「……ッ!」

花子を捨て置き、琴子は神威を怨嗟の眼差しで睨みつける。と、

「? なんだよ、こっち見んな。ぶっ殺すぞ」
「やれるものならやってみなさい! ゲームはまだ続いています!」
「はあ……?」

まったく噛み合わない温度感に、素っ頓狂な声を上げる神威。
そんな二人を見て、花子が声を上げて笑いだした。

「くくくっ……」
「なあ、花子。コイツなに怒ってんの?」
「わらからない?」
「ぜんぜんわかんない。負けたのは自分のせいだろ? なんでカムのこと睨むんだよ」
「だって。円成寺ちゃん。説明してあげたら?」

そう促されても、琴子は神威を睨み続けることしかできない。

イカサマを訴えたところでなんになる。
証拠どころか、指摘する材料すら琴子は見つけられていないのだ。
それを判った上で、この二人は漫才じみた掛け合いをしているに違いない。
しかし、

「ぜんぶあなたの勘違いよ」
「信じられるものですかっ」
「信じないならそれでもいいけど」

言って、花子は苦笑しながら肩をすくめると、続けざま、耳を疑うセリフを吐いた。

「勿体無いことをしたわね。もし引かずにコールしていたら、私を殺せていたでしょうに」
「――――」

琴子は覚えた衝撃を隠すことすら忘れ、大きく目を見張って花子を見る。
瞬間、思った。また失敗を重ねたと。
話にならない。読み合いを要するゲームに、こんな分かりやすく反応してどうする。
だが、取り繕うことなどできなかった。
花子の吐いたセリフの意味を、まるで理解できなかったから。

(この女はいったいなんの話をしているの……?)

違和感だとか、そんなレベルの話じゃない。
例えるなら、たったいま同じスクリーンから出てきた二人が別々の映画の論評を始めるような、そんな気味の悪さすら覚える。

花子は不敵に嗤いながら繰り返す。

「わかった? だから、円成寺ちゃんの勘違いなの」

その勝ち誇った顔は、明らかに琴子の反応を肯定していた。
つまり花子は、この『ネタバラし的な何か』に琴子が驚いて当然だと思っている。
が、実態は違う。
琴子の困惑は深まるばかり。なんなら今のセリフも『だから、なにが“だから”なのですか』と問い詰めたいくらいだ。

(待て……、考えろ。どうしてこんなことになっているのか考えないと……)

ここまでの話で判ったことが一つだけある。

琴子と花子はテキサスホールデムで争った。
同じ場所で、同じルールで、同じ事実を目の当たりにしながら。
だが、そこでの経過に対する認識が、理解が、壊滅的に異なっていて、なのに結果に対する評価だけが奇跡的に一致している。

無論、結果とは『琴子が降りた』ことだ。
そして評価とは『降りて当然』ということだ。

(あ、ああ……)

琴子は持ちうる知性を総動員して、ある仮説を立てることに成功した。
琴子は神威に問う。

「では、カムイさんは嘘をついていないのですか……?」

もし仮説が正しければ、この呆然とした態度も、この質問の内容も、花子に違和感を覚えさせないものだ。むしろ彼女の誤解をより助長させるだろう。
神威は不快感満載に顔をしかめた。

「お前、なめてんのか。カムはママの娘だぞ、嘘つくわけないだろうがっ」
「そういうことよ」

花子が追認したことで、琴子の仮説は裏付けられた。
琴子は崩れるように椅子に座り込むと、表情が見られぬよう手で顔を覆った。
花子や神威には、こちらがショックを受けているようにしか見えないだろう。

違う。悟られない為だ。
顔を隠さないと、どうにも抑えきれぬこの黒い表情を見られてしまう。

「そうですか、まったく私という女は……」

なんて悪運が強い――。

ふと、思い出した。

(なるほど、よくわかりました。お母様が時おり口にされていた『円成寺の女は天に愛されている』とはこういう感覚なのですね。確かにわたくしは天に愛されている)

琴子は自らの能力を疑っていなかった。
一方で彼女は、己が万能ではなく、そして天才でもないことをよく判っていた。
事実、琴子は神様のゲームで幾度となく下手を打ち、悪魔のゲームに於いても既にいくつもの失敗を重ねている。

神威を殺せないと思い込んでいた。
悪魔が身を護ってくれるとタカをくくっていた。
そして今回は花子の考えを読み違えた。

どれも一つ間違えば命を失いかねない重大事だ。

自分ひとりが死ぬのは構わなかった。だけど、自分の判断ミスで壮士の身に危険が及ぶことは耐えられない。服従の約束事を受け入れはしたが、本当は怖くて、嫌だった。
壮士に従っている方がずっと気が楽だ。あの人になら命を預けても構わない。
それでも琴子はこれまでそうしてきたように、きっとこれからも平静を装い続けるだろう。
もう一度、一馬と逢う為に。心と逢う為に。美月やアーニャ、萌や百合子の幸せを取り戻す為に。

そしてなにより神に復讐する為に。重圧に耐えながら戦う。

だから琴子は一つ、自分を奮い立たせる誓いを立てた。
失敗を恐れてはならない。壮士が命を預けてくれることを誇りに思おう。
たとえ失敗しても自らの力で、時には壮士に支えてもらいながら挽回すればいい。
こと切れる瞬間まで諦めてはならない。指一本動くなら、声を発することができるなら、運すら無理やり手繰り寄せて打開してみせる。

今置かれた状況はご都合主義だろうか。
否である、と琴子は断じる。

これのどこがご都合主義か。全く以って否である。
琴子は己の立てた誓いに準じ、犯した失策をおのが才覚で挽回するのだ。

「んふ、んふふふふふふふふふふふふふふ」

故にこの下卑た嗤いは勝利への賛歌だ。
琴子は狂気じみた瞳を神威に向けて言う。

「精算を」
「いい顔するじゃないか。コイツが得物だ。弾を込める前に確かめろ」

差し出される小型のリボルバー。
琴子は神威の瞳を見つめたままそれを受け取り、シリンダー(回転式弾倉)を開いた。
チャンバー(薬室)は6つ。そのすべてに、ダミーであろう弾丸が込められある。
試しに弾を取り出して確認してみると、チップ代わりの黄金の弾と見た目は完全に同じだった。重さにも違いはない。
琴子は銃口を天井に向けると、指でハンマーを起こし、静かにトリガーを引いた。
カチリと、聞き慣れた冷たい鉄の音が鳴る。
さらに5回トリガーを引いたが何も起こらなかった。すべてダミーであることが確かめられた。

「結構」
「んじゃ、次は弾を込めろ」
「私が込めていいのですか?」

神威は「いいよ」と頷き、

「位置は指定しない。好きな場所に込めろ。ただしカムが見えるようにね。今回の負け額は2発だ」
「承知しました」

琴子は再度シリンダーを開くと、中央から見て0度と180度の位置に賭けた弾を込めた。

「おーけー。これで精算の準備はかんりょーだ。一分以内に引き金を引け。シリンダーは何度回しても構わない」
「思っていた以上に公正な措置ですね」
「だから言ったろう? カムはちゅーりつこーせーだって」

ですね、と琴子は薄く微笑み、リボルバーを手で遊びながら花子に目を向ける。

「当たりを引くと思いますか?」

花子はゆったりと背もたれに身体を預け、小さく首を傾けて言う。

「引かないんじゃないかしら」
「三分の一ですものね」
「でもさ、ないだろうって時に限って引いちゃうってこと。経験ない?」
「ふふ、残念ながらあります」
「そ、無事を祈ってるわ」
「ありがとうございます。ですが、祈りなど無用です」

琴子は尊大に顎を上げ、溶けた瞳で花子を見上げた。
続けざま、琴子は手の平で適当にシリンダーを回し、銃口をこめかみに押し当てると、躊躇うことなくトリガーに指を掛け、

「こんなもの、当たるわけがない――」

カチリ、と音が鳴った。

「私は天に愛されているのですから」

クロ

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