悪魔の章 023.琴子の初陣(四)

一度目の精算が終わり、迎えた第二戦。

「…………」
「…………」

カードの配置を終え、両者は静かに睨み合う。

trump9

既に共通カード三枚が開示されている。
琴子は手札を軽くめくって内容を確認すると、満足げに頷いたのち、手札を伏せたまま手を離した。
それを受け、花子が片眉を持ち上げて言う。

「またバレッツ?」
「まさか」
「でも伏せたままにするってことは、そこそこ良い手が来てるんじゃないかしら。ポケットペアだとか、スーテッド(同マーク数字違い)だとか、そういうのだと覚えやすいものね」

ごく軽い調子で尋ねた花子に倣い、琴子は雑談するような柔らかな口調で答える。

「ふふ、花子さんは想像力が豊かですね。そう思わせたいだけかもしれませんよ?」
「今度は教えてくれないの?」
「教えません。一戦目はそれで失敗しましたから」
「あれは失敗じゃないでしょう? ちゃんと目的があってしたことじゃない」

花子のそれは『見透かしているぞ』という示威行為だ。
琴子はしかし、構いはしない。

「だとしても、そのせいで一戦目を落としました。今度は基本に立ち返ろうと思います」
「そ、残念。だったら私から小細工してみようかしら」

言って、眉をひそめた琴子に微笑みかける花子。
続けて彼女は自らの手札を伏せると、それをコツコツと指で叩き、

「私は今オープンエンドフラッシュドローよ」

オープンエンドフラッシュドロー。
平たく言うと、フラッシュ&ストレートのテンパイ状態を指す。

4枚の同一マークのカードがあり、あと1枚の同一マークのカードを引けばフラッシュが成立する状態、且つ、4枚の連続したランクのカードが出来上がっており、前後のどちらかのカードを引けばストレートが成立する状態、その二つが同時に成立している状態だ。
その性質から待ち札は多い。共通カードの5枚目まで含めれば、かなりの高確率でどちらかの役が成立する。下手をすればストレートフラッシュまであり得る手だ。
琴子の側のメリットとしては、花子の手札をかなり絞り込めることが挙げられる。
いずれもハートの『78』、『89』、『QK』、『AK』の四種類。
もちろん花子のそれが、ブラフでないことが前提となる話だが。

ふむ、と琴子は一つ頷き、

「私の真似事ですか?」
「まあ、そんなところね」
「なるほど。しかし、真似事としては些か不足しています。私は実際にバレッツを明かしました。花子さんは見せてくださらないのですか?」
「私はあなたほどサービス精神が旺盛じゃないの。そこまでサービスできないわ」

クスクスと笑う花子。そんな彼女との牽制劇に応じる一方、琴子は実のところ、この二戦目のみならず、ゲームそのものに対してほとんど興味を失っていた。

(お兄様はご無事でしょうか……)

頭に浮かぶのは壮士のことばかり。
生きているだろうか、勝っているだろうか、怪我をしていないだろうか、早く無事を確かめたい、そんなことばかり考えていた。

この殺し合い。趨勢《すうせい》はほぼ決している。

これは今だから言えることだが、ゲームの勝敗を決定づける要素は、すべて第一戦目に集約されていたのだ。二戦目に入った今、琴子がすべきことは何一つ残っていない。一戦目を終えた段階で必要な情報はすべて揃っていた。
だからといって必ず勝てるとは言わない。
ポーカーで争っている以上、運に左右される部分は排除できない。状況に応じて細かな判断が必要になるだろう。
だが、そちらについても基本的な動き方は決まっている。

方針はシンプルだ。

「チェックよ」
「わたくしもチェックです」

花子がチェックしたら、こちらもチェック。レイズにはコールで応じる。
琴子からはレイズしない。
手札の内容いかんに関わらず、序盤は徹底して受けに回る。

「4枚目、おーぷん」

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「……チェック」
「同じくチェックです」

受けをやめる条件は、場代込みで花子の総ベット数が4発となった時が目安。
故に、ここもチェックだ。

花子に追従する目的は二つある。
一つは、できる限り花子が降りてしまう可能性を低くすること。
もう一つは、場を進ませることで花子がレイズしてくれる機会を増やすこと。別の言い方をすれば彼女の手が育つのを待つ。その為の受けだ。
もっともここまで、花子はレイズしてくれなかった。
まだ勝負手を作れていないのかもしれないし、仮にオープンエンドフラッシュドローが真実だとしても、4枚目は当たりカードではない。
真実がどうであれ、琴子としては、花子が5枚目で良手を作り上げてくれることを祈るばかりだ。
いずれにせよ、現時点で彼女が降りていないという点で言えば、悪くない流れだ。

「おー、おー、いっかいめと違って引っ張るねー。5枚目、おーぷんだ!」

言って、神威がニコニコと愉しそうに嗤いつつ、最後の共通カードを開いた。

trump11

最後の共通カードは『ハートQ』。
そのカードを目にしても、両名共に特段の反応を示さなかった。

そこから暫く停滞の時が続いた。

「…………」
「…………」

受けと決めてある琴子は考える素振りは見せるものの、自分からは動かない。一方の花子もカードに視線を固定したまま沈黙を貫いた。

停滞が破られたのはたっぷり一分が経過した頃だ。
花子は緊張を解くようにふっと息を吐くと、ゆったりと背もたれに身体を預け、

「少し雑談でもしない?」
「なんです、藪から棒に」
「そういうのも必要かと思って」
「というと?」
「ほら、基本この手のゲームって黙ったまま進めるものじゃない? マンガや映画じゃあるまいし、戦う者同士がベラベラ話しながら進めるなんて、普通ないと思うの」
「そうでしょうか。一戦目はずいぶんと賑やかだったような気がしますが」
「あれは特別。バレッツをバラすとか、エンタメっぽいこと円成寺ちゃんがしたからじゃない」

琴子が軽く首を傾けて続きを促すと、花子は肘掛けを人差し指でトントンと叩きつつ、

「でね。普通は黙って進めるものだけど、でもそんなことされちゃうと、観ている側は退屈なのよ。展開を予想する材料が少なすぎるもの。
だからマンガとか映画なんかは、プレイヤーの内心とか描くわけ。『主人公はこういうことを考えてて、敵はこういうこと考えてる』ってね。そうすることで初めて、観ている側は楽しめる。円成寺ちゃんはそう思わない?」
「つまり花子さんはこう仰りたいのですか? 今のままでは演者として不足だと」

円成寺ちゃんは賢いな、と花子は嬉しそうに笑う。

「神様も悪魔さんも、ぜんぜん動きのない二戦目は退屈だと思うの。なにか山場的な盛り上がりポイントが必要だと思わない?」

そんな花子の提案を、琴子は鼻で笑う。
ようは雑談という名の駆け引きを通じ、ゲームに厚みを持たせようと言いたいのだろうが、

「残念ですが協力できかねます。私自身、このゲームが楽しくないですし、また、楽しむつもりもありません。ましてあの者どもを楽しませる気など毛頭ありません」
「そうはいうけど、円成寺ちゃんだって報酬を貰うんでしょう? 貰うギャラの分お仕事しないと」
「今ここに座っている事実で以って、負うべき役務を果たしています」

琴子の素っ気ない態度を受け、花子は「つれない子ね」と苦笑気味に肩をすくめると、黄金の弾丸を手に取った。

「じゃあ、私ひとりで山場を作らせてもらうわ。――レイズ、1発よ」

その宣言で以って、停滞していた時が大きく動き始めた。
向かう先は勿論、決着だ。

「…………」

意図的に険しい顔を作り、黙考する琴子。
いくら方針がシンプルとはいえ、この程度の演出は必要だろう。

これで花子の賭け額は合計3発。
しかし3という数は、琴子の設定した条件を満たしていない。方針を変更する条件はあくまでも4発。まだ足りない。
故にここはコールで応じるべき場面だが、その前に、

「よろしいので?」
「どうして聞くの? よろしいからレイズしてるんじゃない」
「もちろん承知していますが、二戦目の場代は2発です。負ければ五割の確率で死んでしまいますよ?」
「そのセリフ、そっくりそのままお返しするわ。今度ばかりは当たりを引いちゃうんじゃないかしら」

そうあっさりと切り返してみせる花子。
琴子をしても、彼女が本当に自信を持っているのか、それとも虚仮威《こけおど》しなのか、判断がつかなかった。
逆もまた真なりだ。
花子はこちらの手に対し、明確な根拠は得ていないはずだ。

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現状、共通カードだけを材料に、相手の役を推察するのは困難だ。
無いと断定できるのは、両者ともフォーカードとフルハウスの二種類のみ。
それ以外であれば、手札次第で上から下まで何だってあり得る。
仮にオープンエンドフラッシュドローが真実、かつ花子の手札が『ハート89』ならストレートフラッシュが成立。さらに曲がり間違って『ハートKA』なら――、

「まさかまさか、ロイヤルストレートフラッシュなんて、馬鹿げた役ができているはずがありませんよね?」
「さあ、どうかしら」
「あんなものはフィクションのなかでのみ、それもイカサマを用いて初めて作れる役です」
「同感よ。でも、あってもおかしくない状況よね。二人とも運がいいのかしら?」

どの賭事にも言えることだが、『賭ける』という行為は慎重を要するものだ。特にこのポーカーは行くのも引くのも簡単ではない。直接命に関わるベットになる。
だが敢えて、行くか引くか、どちらの方が困難かと問われれば、琴子は『引く方が困難』だと答える。
行けば勝てる可能性が繋がるが、引くとその時点で死のリスクを負うことが確定してしまう。
いわゆるチキンレースだ。もちろんそれはこのゲームの一側面に過ぎないが、場代という要素がチキンレースの面を色濃くし、また助長させる。
だから琴子が最初思ったのと同様に、花子も考えたはずだ。

(できれば三回戦目は避けたい、と)

一回戦目より二回戦目、二回戦目より三回戦目。ルール上、場が進む度に『引く』という選択肢は取りづらくなるのは自明の理。
そんななか、花子は1発レイズした。
この段階で既に致死率は五割。これは花子の自信を表れであり、同時に、彼女を底なしの泥沼に引きずり込んだことを意味する。

そんな琴子の思考の狭間に、花子の声が割って入った。

「円成寺ちゃんって、この手のゲーム結構強いでしょう?」
「どうして?」
「ストレートフラッシュの出現率って知ってる?」
「0.03%です」

やっぱり知ってた、と花子はニコリと微笑み、

「あなたはとても頭が良くて用心深い子よ。洞察力も判断力ある。もっとも用心深さについては、ちょっと度が過ぎてると思うけどね。
まあそれも、赤の部屋って環境を考えれば仕方がないことだと思うの。度胸については言うまでもないわよね? 命懸けのゲームに挑戦してるんだし、笑いながら引き金を引けちゃう子なんだから。
だから、あなたは、とても強い。賭事に必要な素養が揃ってる」
「ですが一回戦目、私は敗北しました」
「そう、円成寺ちゃんは負けたわ。頭が良すぎることが仇になった。度が過ぎる用心深さを、私に利用されたわけよね」
「……なにを仰りたいのですか?」
「別に。これといって特には。ただ円成寺ちゃんが凄い子だってことと、あなたがどんな人生を歩んできたのか興味があるってことを伝えておきたかっただけ。だって一億の小切手をポンって出せちゃう子なのよ? ただ者じゃないわよね?」

そこで花子は一呼吸置き、それからいま思い出したように「そうそう。もう一つあった」と続けて、

「私の経験上、あなたみたいな頭のいい奴って、だいたいが“カモ”なの」
「ほう……」

琴子は瞳に喜色を宿しながら思った。

(阿呆が)

煽っているつもりか。駆け引きしているつもりか。
だとしたら安い。あまりの安っぽさに吹き出してしまいそうだ。

この愚か者はなにも判っていない。
もうネタは割れているのだ。

(さてさて、この阿呆は誰と戦っているのでしょうか)

無論、琴子と戦っているのだろう。
だが違う。ボケている。この女の対戦相手は琴子ではなく、そして琴子もまた、この女と戦ってなどいない。この女は誰と戦っているのかすら理解していないのだ。

(さてさて、この阿呆は何で戦っているのでしょうか)

無論、テキサスホールデムを、ロシアンルーレットの精算方式で戦っているのだろう。
こちらはある一面で正しい。だがこのゲームの本質は、テキサスホールデムでもロシアンルーレットでもないのだ。
それらは欺瞞《ぎまん》に過ぎない。プレイヤーの目を欺くために施された装飾なのだ。
その装飾を施した者が真の敵。二人が戦うべき相手なのだ。
そこからして、この愚か者は理解していない。
だから一戦目のようなおかしな事が起こってしまう。

先ほどの話ではないが、映画に例えるのが適切だろう。

琴子と花子は同じスクリーンで、同じ映画を観た。
タイトルを仮に『赤のゲーム』とでもしよう。

赤のゲームはこういうストーリーだ。
とある女二人が命を賭けてテキサスホールデムで戦うことになった。
負けた女は、賭けた額と同数の弾をリボルバーに込め、引き金を引かなくてはいけない。死んだ側の負け、そういう話だ。

映画が始まった直後、さっそく琴子と花子で認識の食い違いが生じた。
最初の食い違いは『登場人物の数』だ。
花子は『三人』だと認識し、琴子は『四人』だと認識した。
さらに悪いことに、花子は自分と同じく、琴子が『三人』だと認識していると思い込んでいて、琴子もまた、花子が『四人』だと認識していると思い込んでいた。
もっとも、琴子がそう思い込んだのは、もう少しストーリーが進行してからなのだが。
ともかく、開始早々から不幸なすれ違いが生じたということだ。

その後、映画は進行して行き――、

(今さらそんなことはどうだって構いません。それよりも)

琴子は口角を吊り上げると共に、目の前にある現実に意識を引き戻した。

花子のレイズをどう処置するか。
彼女が口にしたセリフを思えば、もはや方針を堅持する意味はないだろう。
致死率五割あれば十分だ。花子に引く意思が無いことは明白だ。
であれば、ここは当然、

「カモ、ですか。そんな虚仮威しが通じるとでも? ――レイズ、1発です」
「へぇ……」

琴子は満を持してレイズ返しを宣言。
これで場代2発、花子のレイズ1発、琴子のレイズ1発の合計4発。
ボールは再び花子に預けられた。

「せっかく何度も忠告してあげたのに。レイズしちゃうんだ。……ほんと、わかりやすい」
「なにを仰っしゃいますやら。わかりやすいのは花子さんではありませんか。ここで降りるのが賢明では? 今なら五割の確率で済みますよ?」

琴子は凄惨な笑みを貼り付けて切り返す。

「鷹を気取った“カルガモ”さん」
「…………」

両者共に燃料投下を怠らない。
ここまで来れば、ある種の共感が芽生えるというものだ。
対峙する者しか感じ取れぬ濃密で危うい空気感。それが否が応でもチキンレースへと駆り立てる。

「いい度胸じゃない。レイズ、1っぱ……」
「オールインします」
「ぷっ、あははッ!」

目を見ればわかる。既に二人のブレーキは壊れていて、行き着くところまで行くしかないのだと、互いが理解していた。

「いいわ! 私もオールインよ!」

狂喜乱舞しながら叫び、花子が残り2発の弾をテーブルに叩きつけた。
こうして文字通り“必死”の勝負が成立したのだ。

クロ

クロ

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