神威は銃に見立てた人差し指を琴子の眉間に添えて言う。
「2発賭けて負けたら2発。オールインしたなら6発。賭けた数の弾丸をリボルバーに込める。負けた奴は一度引き金を引いてもらう。
なーに、余裕だって。スカったら負けはチャラだ。賭けた弾はリセットされて2回戦に進める。でももし、運悪くアタリを引いちゃったら……、BAN! だ」
言って、神威は硝煙を吹き消すようにふっと指先に息を吹きかけ、
「よーするにチップはロシアンルーレット方式での毎戦精算。とーぜん引き金を引かないってのはナシだ。拒否したり逃げたりしたら、カムがぶっ殺すのでそのつもりで。
どちらかが死ぬまでこれを繰り返してもらう。最終的に相手を殺した方の勝ちだ。説明はいじょー。わかったか?」
「悪趣味なルールね。……了解したわ」
琴子へ視線を固定したまま頷く花子。
その濃茶色の瞳に恐れの色はない。むしろ好戦的な色を帯びていた。
かたや琴子は、能面のような顔で花子の睨みを真正面から受け止めつつ、
「わたくしも了解しました。早く始めましょう。……どうせ私が勝ちます」
そう尊大に挑発する反面、
(簡単ではない)
琴子はこの精算方式の厳しさを思っていた。
弾倉数6発のリボルバー。死を引き当てる確率は1発あたり約17%だ。1回戦の参加料は1発。2回戦は2発。2回戦は開始時から致死率三割を越えることになる。
レイズもコールもおいそれとできない。3発ベットしただけで五割の確率で死ぬだから。
(捨てられるのは恐らく初回のみ)
全体でみても、三回戦までに決着が着く公算が大きい。
だが、仮に三回戦までもつれ込めば、そのリスクの高さから思い切った手を打ち辛くなる。
勿論それは相手の側も同じだ。が、琴子は花子と神威の共闘を警戒しながら戦わねばならず、警戒すべき要素が多い分、大胆さという側面で花子に劣るだろう。
それら諸般の事情を鑑みると、やはり、
(二回戦以内に決着させるべきでしょうね。お兄様をお迎えせねばなりませんし、早く終わらせてしまいましょう)
ここに来る前、壮士の不安を煽りはしたが、流石にあの殺風景な空間のなか一人きり、兄をやきもきさせながら待たせるのは心苦しい。
壮士は必ず勝って戻る。ともすれば傷を負っているかもしれぬ兄を、笑顔で迎えてあげたい。
(さて)
琴子は目まぐるしく頭を回転させながら、周囲に眼球を巡らせ、勝ちに繋がる材料を探す。と、
「んじゃ、ちゃっちゃと始めるぞー」
言って、袖を捲くる神威。
その何気ない行為を、琴子はある種の意思表示だと受け止めた。
つまり、神威はやる気を示したのではなく、袖を捲くることで『中にカードを忍ばせることはしない』との意向を示している。
もっと言えば、この行為を通じて、神威は自身の立ち位置の公正さをアピールしているだと、琴子はそう解釈した。
だが、
「始める前に、確認しておきたいことがあります」
「あン?」
仮にそうだとしても、琴子にとっては気休めにもならない。
人間と隔絶する身体能力を持つ神の使徒。神威がその気になれば、琴子はイカサマ行為をまず察知できないだろう。
故に、袖を捲ってもらったところで意味はない。もっと実《じつ》のある物が欲しい。
「もちろんイカサマは禁止ですよね? それともカムイさんは、バレない限り何をしても良しという方針でしょうか」
「おいおい、勘弁しろよ、円成寺」
神威は心外だと言わんばかりに、手に持つトランプの束を指で弾く。
「もしかしてアレ? カムが花子に肩入れするとでも思ってんの?」
「そうは申しません。カムイさんは中立なのでしょう?」
「そぉだよぉ~? カムはちゅーりつ。どっちの味方もしない」
これでもかと声に抑揚をつけ、あたかも含みがあるかのように答える神威。
琴子はしかし、敢えてそこには触れずに小さく肩をすくめてみせ、
「存じております。私はイカサマの扱いをお尋ねしているだけです」
「ガチだ」
「それは神の指示ですか?」
「そうだよ、ママが今回はガチでやらせろって。だからガチなのはこのゲームに限ってのハナシね。とにかくイカサマはなしだ。やりたいなら好きにすればいいけど、ぜったいバレるから。カムが見張ってるからね。とーぜんバレたら負け扱い。カムが始末する」
そうですか、と琴子は顎に指を添えると、数秒黙考して、
「二つ要望があります」
「やだ」
ノータイムでしかめっ面を作る神威。
予想通りな反応だが、琴子としては簡単に引き下がるわけにはいかない。
「そう仰らずに。ルールを変更するたぐいの要望ではありません」
「聞いてやんない」
「聞いてあげましょうよ」
二人を執り成したのは、それまで沈黙を貫いていた花子だ。
神威はげんなりした顔で花子を見やり、
「花子ぉ~……」
「ルールに関わることじゃないんでしょう? だったらいいじゃない。円成寺ちゃんの立場なら当然じゃないかしら。この子にとって赤は敵方のテリトリーなんだし、慎重になるのも無理ないわよ」
「寛大なお言葉、感謝します」
率直に謝意を示した琴子に、花子は「いいのよ」と薄く微笑みかけて言う。
「でも一つだけ言わせてもらっていい?」
「なんなりと」
「あなた、大口叩いてた割に臆病なのね」
紛うことなき挑発だったが、そんなもの琴子に通じるはずもない。
「お恥ずかしい限りです」
事実、琴子は微笑を作り、何事もなかったかのように受け流してしまう。
かたや花子もこちらの反応を想定していたのか、あるいは最初から期待していなかったのか、興味を惹かれたような眼差しを向けただけで、それ以上の言葉を重ねることはしなかった。
神威が手をヒラヒラと振りながら言う。
「もぉー……、めんどくさいなあ……。要望かなんか知らんけど、はよ言え」
「では一つ目から。花子さんのボディチェックをさせてください。
私はカムイさんに受けています。その様子を花子さんは目にされていました。しかし私は花子さんのそれを見ていません。カムイさんの出自を鑑みれば、わたくし自らの手で花子さんをボディチェックすることは、当然与えられるべき権利だと考えます」
言った途端、神威はあからさまにうんざり顔を作ったが、当の花子は納得したような顔で立ち上がり、両の腕を軽く開いてみせた。
花子の意外なまでの度量の大きさに、琴子は些か驚きを覚えつつも、彼女の身体を検《あらた》めていく。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
結果は白。仕込みらしい物は何一つ見つからなかった。
唯一得た情報は想像以上に花子が大柄だったこと。長身であることに加え、骨格や筋肉も琴子など比較にならないくらいシッカリしていた。
腕っぷしでは絶対に勝てないと思い知らされただけだった。
「二つ目。そこにあるカードシューターの利用を要求します」
カードシューターというのは、トランプを収納して1枚づつ取り出せる器具を指す。
琴子が目をつけたシューターは、アクリル製かつ透明で、一度トランプを収納すればその後はカードの入れ替えができない構造になっている。
無論これもイカサマ対策なのだが、この措置はどちらかと言えば花子に対するものではなく、
「……お前、カムのお仕事取り上げるつもりか?」
主たるターゲットにされた神威は不快感をあらわにした。
当然といえば当然だ。カードを配るのはディーラーの仕事。神威にすれば、仕事の大半を奪われた上、置物になっていろと言われているに等しい。
そんな神威に構わず、琴子は花子に向けて提案を続ける。
「シューターにセットする前に、私と花子さん、それぞれでカードを切ります。共通カードは一枚ずつ二人で交互に。手札も同様です。共通カードは神威さんに開けていただきます」
「それでいいわ。イカサマを警戒しているのはこっちも同じだし」
花子が頷いたと同時に、神威がだむとテーブルを叩いた。
「お前らで勝手に決めんな! これはカムの初しご……と……なん、だぞ……」
言い終える前に、なぜか怒りの勢いを尻すぼみさせる神威。
直ぐにピンと来たのか、花子は同情したような眼差しを神威に向け、
「神様?」
「……いいからやらせろって。ママが」
「一度くらいいいじゃない。ゲームはまだまだ続くんだし、きっと活躍できる機会もあるわよ」
「花子は人間のくせに優しい。ちょっとすき。円成寺は死ね。お前と関わるとろくなことない」
「関わるもなにも、赤に来いと仰ったのはカムイさんでしょうに……」
花子に倣い、慰めるような声音で言った琴子だったが、その実かけらも同情などしていない。
なんなら『いい気味だ』くらい思っている。
(さっき私のことを『ざまあ』嗤った罰です。……許しません。ぜったい)
というか、失敗をバカにされたことを根に持っていた。
やはりごく限られた人間以外にはとても冷たい子だった。
ともあれ、
「まあいいや、カムちょっち萎えたけど、お仕事はお仕事だかんね。始めるぞー」
そんなややしょんぼりとした神威の宣言と共に、琴子の初戦が開始されたのだ。
◆◇◆
第一戦。
滞りなくカードを配り終え、琴子は裏向きに置いてある自身の手札を手に取った。
ポーカーとは厳然と実力差が現れるゲームだ。
相手手札の予測、役の広がり、確率等の数学的要素。心理的駆け引き、勝負勘、経験など、実力に優れる側が概ね勝つ。力の差は数をこすほど勝率として顕著に現れる。
一方でポーカーは、短期決戦という条件下では実力を発揮しづらい。
運の要素が大きく作用する質のゲームだからだ。
程度に差があるとはいえ、他のカードゲーム、あるいは麻雀等にも同じことが言えるだろう。
今回のルールは、行くも引くも大きなリスクを負わねばならない。
実力差が現れるほど数をこなせる可能性は低く、故に両者の持つ運の強さがモノを言う公算が大きい。
琴子は自らの運の強さを疑っていなかった。
基本的に理詰めを好む琴子ではあるが、彼女は運という不確かな物を軽んじてはいない。
理で説明のつかない物事が、この世の中には確かに存在する。
これは母親の教育を通じて養われた価値観だ。
その証拠に、琴子の母親である円成寺椿は神様のゲームのなかでこんなセリフを口にしている。
――勝った……。私の勝ちです桐山さん。やはり私は天に愛されているのですね。
椿は運を肯定し、それを得るべく算段を立て、一馬の拘束に成功した。
もちろん椿とて運頼みは極力避けるが、運そのものは否定せず、むしろ重んじてもいた。
この考え方は琴子に受け継がれており、そして琴子は神様のゲームを通じて実感を得ていた。
私は運が強い女だと。
もっとも、一括りに運といっても様々な物がある。
幸運、不運、悲運、金運。いくつもの運があるなかで、琴子が取り分け自信を得ていたのは『悪運』だ。
神様のゲームで生還を果たしたのは、初期6人のなかでは琴子ひとりだけだ。
ゲームの中の立ち位置も盤石ではなかった。盤石どころか、琴子は参加者のなかで最も数多く危うい場面に遭遇してきたと言えるだろう。
それもそのはず。琴子は神様のゲームで起こったトラブルのほとんどすべてに絡んでいる。
一馬を唆したのは良いものの、企みを神にバラされてしまい、結果、心と萌に殺されかけた。
一馬が錯乱してくれたお蔭で命拾いしたが、それがなければ最初に死んでいたのは琴子だった。
その後は美月にちょっかいを掛けるも、返り討ちにされた挙句、一馬に告げ口されて、殺されかける始末。
他にも色々とある。
忌憚なく評価すれば、神様のゲームにおける琴子の出来はすこぶる悪かった。幾度となく下手を打ち、その度に危機に瀕し、その危機を主に他者の力で以って凌いできたのだ。
そうした危機をいくつも乗り越え、一馬と縁もゆかりもない琴子は生還を果たした。
これを悪運と呼ばずに何と呼ぶ。
今、この時、この場面。まさに持ち前の悪運を発揮する場面ではないか。
そんな琴子が手にする最初の手札――。
「…………」
それを目にした瞬間、琴子は大いに訝《いぶか》しんだ。
無論、表向きには何一つ反応を示さない。
が、この手札を『運』の一文字で済ますことなどできようはずがなかった。
(……バレッツですって?)
バレッツ、ロケッツ、ニードルス、エーシーズ、エーポケ。
呼び方は色々あるが、どれも手札二枚に『AA』が来ることを指す。
琴子に来たのは『ダイヤA』と『クラブA』だ。
52枚のカードの中から同じ数字の二枚、それも最強のAを二枚引き当てたということになる。
これが如何に低確率で発生する事象なのか、さほど数字に強くない人であっても感覚的に理解できるだろう。
琴子はポーカーフェイスを保ちながら考える。
(イカサマを仕込む余地は極力排除している。その上でカムイさんと花子さんの動きを注視していたのに、この手札……)
トランプ自体におかしな点がないことは確かめた。手札を引いたのは琴子自身だ。カードを切った順番も花子が先で琴子があと。シューターにトランプを収めたのも琴子だ。共通カードが伏せられたままの現在、神威はカードに触れてすらいない。
琴子の見てきた事実関係において、イカサマを否定せざるを得ない状況だ。
(だからといって、とても偶然とは思えない)
バレッツが来る確率はわずか0.45%。221回に1度の確率だ。
(そのごく薄い確率を一回戦目に引き当てた? ……あり得ない)
これが奈津や壮士を相手とした遊びのポーカーなら受け入れるが、今回は相手が相手。琴子の想像を越える手段を用い、仕込みをされたと考えるのが自然な判断というものだろう。
しかしながら、バレッツはこの上ない良手だ。初回のベットラウンドがスキップされる関係で最上手とは言えないものの、この手札を得た場合の勝率は著しく高い。
いずれにせよ、琴子にバレッツを掴ませたからには、何かしらの意図があるはず。
(私にレイズさせるのが目的か、もしくは賭け額の総量を釣り上げることが狙いか)
花子がジッと探るような眼差しでこちらを観察している。
かたや神威は平坦な目で琴子と花子を交互に見る程度だ。
花子の仕業か、花子と神威の仕業か、あるいは花子が預かり知らぬところで神威が勝手に仕出かしたことか。今はまだ判断できない。が、
(……まあ、いいでしょう。それならそれでやりようがある)
方針に修正を加えた琴子の一方で、神威が共通カードに手を掛けた。
「んじゃ、まずは三枚あけるぞー。おーぷんっ!」
共通カードは『スペード4』『ダイヤ10』『スペードA』。
琴子の手はワンペアからスリーカードに格上げされたわけだが、先に動いたのは花子だ。
「レイズ。1発」
静かに言って、琴子の瞳を見据えたまま弾丸を押し出す花子。
琴子は内心ため息をつく。
(あまり好ましくないタイプの相手ですね)
一馬を唆した時然り。美月を唆そうとした時然り。遼太を殺そうとした時然り。
琴子は総じて先手を取ることを好む性分だ。
相手に合わせるのではなく、自らの意向に相手を沿わせるよう仕向け、相手の出方によって逐次行動を修正していく。
これは別に良い悪いの話ではない。単にそういう営みの方が好ましいというだけのことで、受けに回ることに対して特段の苦手意識は持っていない。
ただ、形容し難いやり辛さを覚えているのは確かだ。
敵方のテリトリーという環境。花子と神威にまつわる数多くの疑念。手札の違和感。そして今、先に花子から仕掛けられた。
目に見えぬ“嫌な流れ”を感じる。
(ともあれ、私はAのスリーカード。花子さんは……)
現時点で琴子が負けることはない。
花子の作れる最高役は『10か4』の『スリーカード』、対して琴子は『Aのスリーカード』。
とはいえ、実際はスリーカードもそう簡単に来る手ではない。花子はスリーカードどころか、ワンペアさえ作れていないかもしれない。
だが、彼女はレイズしてきた。
もっとも、そのレイズも1発のみだ。様子見か、単なる威嚇行為である可能性が高い。
いずれにせよ、現在琴子は勝確状態。花子のレイズにオールインで応じれば、確実に花子に引き金を引かせることができる。
しかし、今それをさせたところで致死率はせいぜい三割程度。殺せない確率の方がずっと高い。
もちろん他にも手はある。オールインせずに、レイズ合戦に持ち込めばいい。もし花子が応じてくれれば、殺せる率をより高くすることができる。
(もっとも、そんな見え透いた手に、この人は乗ってこないでしょうが)
そもそもこの場面における琴子の関心事は目先の勝利ではない。
それよりもずっと重要なことがある。
琴子は仕掛けた。
「思いのほか豪胆ですね。それとも良い手が作れる目算が立っているのでしょうか」
琴子のそれは暗に『残り二枚の共通カードの内容を知っているのか?』と示唆している。
花子はほんの少し口の端を持ち上げ、
「知ってるわけないじゃない」
その反応を受け、琴子は『こちらの示唆を正確に汲み取っている』と判断。
想像通りこの女は馬鹿ではない。同時にこの反応は想定内だ。
「そうなのですか? でしたら今のレイズは下策でしたね」
「そうかしら?」
「そうですとも。――コールします」
琴子は弾丸1発を押し出し、さらに種をまいていく。この金色の弾丸も餌に過ぎない。
花子はこちらの自信に満ちた態度に、やや訝しげに目を細め、
「円成寺ちゃんも豪胆じゃない。もしかしたら良い手が作れる目算が立っているのかしら? ――チェックよ」
逆にお前がイカサマをしているんじゃないか――。
そんな花子の質問返しも想定内。琴子は、彼女が餌に食いついたことを確信した。
続けて琴子は綺麗な微笑を作り、最後の餌を投げ入れる。
「いいえ、目算というより現時点で勝ちが確定していますから。――私もチェックです」
「……勝ちが決まっているのにチェックするの? それって自分からブラフだって告白してるようなものじゃない?」
「ふふ、さて、それはどうでしょう」
どうでしょうもなにも花子の指摘は正しい。だが実際にブラフではない。琴子は嘘をついておらず、絶好の機会を自ら手放している。
琴子の選択は不合理だ。不合理だが、琴子にとっては必要な手順だ。
ともあれ、琴子がチェック(現状維持)したことで双方の賭け額が2発で確定した。
場は次の段階に進む。
神威がニヤニヤと愉しげに両者を眺めて言う。
「なーんか、しょっぱなからいい感じにギスってきたな。いいぞ、もっとやれ。んじゃまあ、4枚目を開こう」
神威が4枚目のカードに手を掛けた瞬間、琴子はボソリと呟いた。
「実は先ほど言いそびれたのですが――」
「おーぷんっ!」
4枚目が開かれたと同時に、琴子は最後の餌を投下した。
「私の手札は“バレッツ”です」
「…………」
じろりと、テーブルに落とされていた花子の視線が琴子に向く。
数瞬、こちらを吟味するかのような眼差しで睨めつけたのち、花子は小さく鼻で笑って、
「ブラフね」
やはりこのセリフも琴子の予想通り。
当たり前だ。本当にバレッツが来ているなら、琴子は3枚目時点で確実に勝利していた。突っ張って然るべき場面だが、琴子はチェックした。
役が変化していくテキサスホールデムの仕様上、琴子の選択は道理に合わない。
場を進めることで、約束された勝利を捨てるだけでなく、敗北のリスクまで負うことになるのだから。
だからこそ、これがトドメとなる。
「私の手札はバレッツです」
ニヤリと嗤い、琴子は手札を明かした。
「っ……」
ダイヤAとクラブA。琴子の手札を目の当たりにした花子の目がわずかに見開かれる。と同時に、琴子の目論見は成った。
琴子の狙いは二つある。一つは情報だ。
イカサマの有無、及びそのことを花子が既知であるか否か。
(花子さんの仕込みではない)
思わせぶりなセリフを重ね、入念にタイミングを図ったこの暴露を受け、彼女が見せた反応はごく自然なものだった。とても演じて取れるリアクションではない。
即ち花子は白。バレッツが来たことについて花子は関与していない。
となれば、残る可能性は二つ。
神威の単独犯か、ただ単に琴子が幸運だっただけか。
後者であれば良いが、もし前者であるならかなり危うい。正攻法ではまず勝てない。
「…………」
花子が顎に手を添え、なにかを熟考している。ここに来て初めて見せる反応だ。
これは暴露の副産物と考えて良いだろう。
花子は疑念の種を植え付けられた。
バレッツがブラフではなかった――、その事実が花子に思考を強いさせる。
なぜ琴子にバレッツが来ているのか、なぜ琴子は勝利を手放したのか、なぜ琴子は手札を明かしたのか、それらの行為を通じて得ようとしたものは何か。
彼女が考えるべき材料は大きく増えているはずだ。
(せいぜい考えなさい。貴女が考えている内は私の勝利は揺らぎません)
ここまでは目論見通りに事が運んでいる。
琴子にとって、花子が正解にたどり着くか否かは大事ではない。極論すれば、琴子でさえこの行為に対し、さしたる価値を見出していないのだから。
大切なのは花子に『考えさせる』ことそのもの。それが琴子の二つ目の狙い、こっちが本命なのだ。
しかし、
「ん、だいたいわかった」
納得したような花子の呟きを以って、琴子の想定が崩れ始める。
花子は薄く微笑みながら金色の弾丸を手に取り――、
「レイズ。2発」
「っ……」
大胆に過ぎる花子の宣言に、さしもの琴子も眉間にシワを刻んだ。
この場面でポーカーフェイスを取り繕う必要はないだろう。
(レイズですって? それも2発……?)
それほど花子の一手はあり得ないものなのだ。
何故なら4枚目の共通カードは、
クラブ6。
『Aスリーカード』が成立している琴子に対し、現状で花子が作り得る最高役は『4・10・6』いずれかの『スリーカード』。琴子を上回れない。
花子の敗北は確実だ。
ただ、今この瞬間だけを切り取れば、花子はまだ敗北していない。曲がり間違って琴子がコールし、共通カードの5枚目が開かれれば、その次第でひっくり返せる余地がある。
琴子の手は『Aフォーカード』まで伸びる余地があるものの、その確率はわずか2%。非常に薄い確率だ。
つまり花子がこちらを上回るには、ストレート以上を作ることが最低条件となる。
琴子は一旦アクションを保留し、改めてカードを俯瞰する。
(フラッシュ、フルハウス、フォーカード、ストレート、どれもある。ありますが……)
間口の広さという意味で、最も疑わしいのはストレートだ。
『10JQKA』、『A2345』、『34567』など複数のパターンがあり得る。4枚の共通カードから2枚利用し、5枚目の共通カードと手札2枚で欠けている穴を埋める。
あり得る。あってもおかしくない。
しかしフルハウスであれ、フォーカードであれ、フラッシュ・ストレートであれ、現状では絵に描いた餅だ。レイズしてきた理由にならない。まして花子のベットは合計4発。致死率は67%を数える。
(まさか、この女……)
琴子は確信に近い疑惑の眼差しを花子に向ける。
と、花子はわざとらしく目を見張ったのち、ゆっくりと唇を横に裂き、
「もしかして気づいちゃった? だったら背中を押してあげる。――さらにレイズ、もう1発追加よ」
「あなた……!」
テーブルを叩き、怒りの形相で立ち上がった琴子に対し、神威が冷めた声で告げた。
「コールするか?」
琴子はこう答えるしかなかった。
「……フォールド、ですッ」
こうして一回戦目。琴子は敗北を喫したのだ。