悪魔の章 019.助けて一馬様!

「敗北したようです」
「……琴子が負けたっていうのか?」

 悪魔の使徒が口にしたそれは、壮士が想像していたなかで最悪の言葉だった。

「はい。丁度いま殺されるところです」
「…………」

 時間にして僅か五秒。けれど永劫とも思える短い刻を、壮士は沈黙に費やした。
 叫び出したい衝動を押し留め、あるいは絶望しそうになるのを堪え、心を強く保って辛抱強く待つ。魔阿のそれが冗談や軽口のたぐいであると信じたかったから。

 しかし、そんな壮士の願いはいとも簡単に退けられる。

「残念ですが」
「………ッ!」

 瞬間、壮士は顔を歪め、明の亡骸に向かって弾丸のごとく駆け出した。
 遺体近くに転がっていたバッグを引っ掴み、自動拳銃《相棒》をホルスターへ投げ入れるように収め、そうして三枚ある扉の内の一つを目指してひた走る。
 壮士が目指したのは魔阿に退出を指示された扉――元の待機場所に繋がるそれだ。

「お待ちください」
「待ってられるかッッ! 琴子が殺されそうなんだぞ!? それとも何か!? お前が赤の部屋に連れて行ってくれるってか!?」
「無論、お連れできかねます」
「言われなくてもわかってるよッ! だからッ――」
「そうではなく、物理的に不可能なのです」

 静かにそう断じて、魔阿は首を横に振った。

「貴方も本当は理解しているはずです。赤の部屋で行われているゲームに対し、第三者は干渉できません。関与できるのは円成寺様と相手方プレイヤー、カムイの三名だけです。
 逆もまた真なりです。今しがた青の部屋で行われたゲームについても、私達以外の何者にも介入できぬようになっていました。物理的にも、論理的にもです。
 青の部屋は、たとえカムイであっても踏み入れることは叶いません。同様に、私も赤の部屋には入れません。壮士様を赤の部屋にお連れしようにも、私はその手段を持っていないのです。
 許されているのはカムイとの意思疎通とゲーム状況の把握のみ。そういう仕様です。
 故に無駄なのです。もし待機場所にある赤の扉を開けたとしても、赤の部屋にはたどり着けません。扉の先にはただ灰色の景色が広がっているだけです」

 魔阿の発言を受け、壮士はドアノブを握っていた手を止める。
 大きく目を見張って振り返ったこちらに対し、魔阿が抑揚のない声でとどめを刺した。

「円成寺様のことで、壮士様にできることは何一つありません」
「なら……」

 琴子を見殺しにするしかないということか。
 琴子の死を容れろということか。

 恐ろしい。この娘はなんて恐ろしい言葉を口にする。

 琴子が死ぬ。
 その事実に体の芯まで凍りつき、冷たいという感覚すら失って、白い闇の中にどこまでもどこまでも沈み込んでゆくような喪失感を覚える。怒りなんて湧いてこない。焦りすら失ってしまった。
 怖い。それしかなかった。

「く、そ……」

 壮士はかすれた声でそう呟き、膝から崩れ落ちた。

 思考が後悔一色に染まる。
 やはり間違っていた。あの子をこんな馬鹿げたゲームに巻き込むべきではなかったのだ。
 幾多の代償を投じ、せっかく拾ったかけがえのない命を、あっけなく散らせてしまった。

 一馬の願いなんて踏みにじれば良かった。
 さも良いことをしている気になって、格好をつけて、壮士が琴子を誘ったりしなければ、少なくともあの子が死ぬことはなかったのだ。
 人はただ生きていれば良いという物ではない。そう思うからこそ、壮士は悪魔と契約したし、命を賭けてこのゲームに挑んでいる。
 琴子だって同じだ。
 満たされない事がある。本当の幸せを勝ち取りたい。だから琴子は共に挑んでくれた。
 それでも。それでも琴子は生きられた。
 あのままそっとしておいてやれば、あの子の負った傷はいつか時間が解決してくれたはずだ。それなりの幸せを掴むこともできただろう。
 壮士が殺したも同然だ。

「はは」

 自然、嗤いが溢れ出した。
 本当に、本当に、何一つ成し遂げられないまま、琴子を逝かせてしまったではないか。
 琴子と奈津に約束した。必ず護ると、必ず生きて帰すと。
 それがどうだ。壮士は護るどころか、琴子の死を看取ることすら許されない体たらく。なんて薄っぺらな誓いなのだと自嘲するしかない。

「頼みがある」

 壮士はしかし、立ち上がる。

「なんでしょう」

 昨晩、琴子と約束した。

 ――もし俺が死んだとしても。
 ――もし私を失ったとしても。

「あとで構わない。あの子がどんな最期だったのか教えてほしい」

 すべて後にしよう。
 もし互いを失うことになったとしても、嘆き悲しむのは一馬たちを取り戻してからだと、そう琴子と約束した。ここで折れてはあの子を裏切ることになる。

「畏まりました。何か遺品となる品も見繕っておきましょう」
「ありがとう」

 壮士は魔阿に薄く微笑みかけ、それから握り潰さんばかりにドアノブを強く握り、青の部屋を後にした。
 その直後、

『そっち終わったー?』

 魔阿の内側にのみ届く軽い調子の声。
 魔阿は表情ひとつ変えずに明の亡骸に向かって歩きながら応じる。

「ええ、滞りなく。これから槇島様のご遺体を処理するところです」
『あらら。明《あきら》負けちゃったんだ』
「紙一重でしたけどね。そちらは終わったのですか?」
『うん、こっちも終わったよ。今から死体を片付けるとこー』
「でしたら円成寺様の亡骸は残しておいてください。遺品を回収したいので」
『は? あいつ死んでないよ?』

 まあ、カム的にはぶっ殺したいけど、と続けた神威に魔阿の足が止まった。
 魔阿は軽く眉間にシワを刻み、訝しげな顔で問い返す。

「……まさか、あそこからひっくり返したのですか?」
『あそこから? あ~~、さては覗いてたなー?』
「ほんの少しだけですけどね」
『どのへんまで見てたのー?』
「どの辺りというか、最後の精算を行うところだけです」
『それならしょーがないかあ……』

 得心したような神威の言い様に、魔阿も琴子の生を信じはしたが、それならそれで疑問が残る。

「しょうがないもなにも、オールイン後の精算ですよ? どうやって円成寺様は勝ったのですか?」
『あー……、うん、勝ったっていうか、アイツ負けたんだけどね……』
「負けた? 負けたのになぜ生きているのですか?」

 その場面を思い出してか、神威は不快げに舌を打つと、ぶっきらぼうにこう答えた。

『円成寺、マジ汚い』と。


 ◆◇◆


 青の部屋を後にした壮士は、目に飛び込んできた光景に絶句する他なかった。

「遅い……。まさか……、いえ、お兄様に限って……」

 腕を組み、落ち着かない様子で二の腕を指で連打しつつ、ひび割れた大地を右へ左へとウロウロするちっこい女の子が一人。
 自分の世界に没頭しているのか、彼女は未だこちらの存在に気づくことなく、ぶるんぶるんとでかいチチを揺らせていた。

「ことこ、だよな?」
「あっ、おにい――お兄様ッ!?」

 呆然と壮士が呟いた瞬間、琴子は目を輝かせはしたが、その喜びの表情はほんの一秒すら保たれたなかった。
 琴子は慌てて壮士に駆け寄ると、飛び込むように胸に縋り付き、

「血だらけではありませんかッ!? 傷はお顔と耳だけですか!? とにかく座ってください! 手当します!」

 そう早口にまくし立てて、グイグイと服を引っ張る琴子。
 かたや壮士はそれどころではない。

「おまえ、なんで……」

 たったいま死んだと聞かされた当人が目の前に居るのだから。
 いや、死ぬだなんだという以前に、琴子は傷一つ負っておらず、とても命のやり取りをしてきたと思えぬ健在ぶり。赤の部屋に送り出した姿のままだ。

「ちょ……、え……? どうして座ってくれないのですか? 早く手当しないと!」

 焦った顔で一生懸命服を引っ張る琴子など物ともせずに、壮士はただただ目を見張るばかりだ。
 そんな噛み合わぬ臨場感に、琴子はいい加減しびれを切らしたのか、

「すわってくださ……、このっ、座れと言っているでしょう!? ふぬぬぬぬ……!」

 ついには壮士の首にぶら下がって、無理やり座らせようとする琴子。
 が、やはり壮士は微動だにしない。
 それもそのはず。

「ことこぉっ!」
「むぎゅぅっ!」

 壮士は力いっぱい琴子を抱き締め、湧き上がる喜びを爆発させた。

「ちょ、急になんですか!? ぐぇ……、くるし……!」
「ことこぉっ! ことこぉっ! こんのガキが! 心配させやがって!」

 壮士は琴子に頬ずりしながら黒髪をわしゃわしゃと撫で回し、バッシバッシと背中を叩きまくり、ついでに肉づきの良い尻を揉みしだく。
 途端に、琴子は怖気が走ったように身体を震わせて、

「ひっ……! お、おしり、おしり触りましたねッ!? いかにお兄様と言えど許しませんよ! わたくしのすべては一馬さ……ぐぇぇぇッ!」
「ことこぉっ! ことこぉっ!」

 しかしそんな訴えなど、今の壮士に届くはずもない。
 鍛え上げられた壮士の二の腕は、今まさに琴子の細い腰をへし折ろうとしていた。

「た、助けて一馬様! お兄様に殺される!」


 ◆◇◆


 それから暫くして。
 我に返った壮士は地べたに正座させられていた。

「一馬様に言いますから」

 背後から届いた冷たい声に、壮士は不本意そうに鼻を鳴らして言う。

「ちょっと尻もんだけだけじゃないか」
「穂乃佳様にも言いますから」

 たちが悪い。どうやら妹様は、尻を揉まれた事がどうしても許せないらしい。減るもんじゃなし、尻触られたくらいでごちゃごちゃ言うなよと思う壮士だが、もちろんそんなこと口にするほど馬鹿ではない。

「告げ口は良くないぞ?」
「私のすべては一馬様の物です」
「お前はほんとブレないな……」

 言って、壮士は呆れの溜息を一つ。こう言っては琴子が不憫だが、これも彼女が一馬に抱く幻想の一つだ。
 仮に告げ口されたとして、一馬が怒ってくれるとでも思っているのだろうか。
 そんなわけがない。
 もちろん一馬とて赤の他人に揉まれたというなら怒りもするだろうし、琴子を慰めもするだろうが、犯人が壮士であるなら「ふーん」とか「ちゃんと謝っとけよ?」みたいな反応が関の山だろう。
 今に始まった話ではないが、琴子は一馬を美化している。兄は愛の戦士でも白馬に乗った王子様でもないのだ。壮士に言わせれば一馬なんぞそこらに居る男と何も変わらない。
 だいたいからして、尻を揉んだくらいなんだというのだ。
 こちとら真実、一馬に婚約者を寝取られている。スキンシップが少々行き過ぎたくらい大目に見てもらいたいものである。壮士はただ、琴子が生きていてくれたことが嬉しかっただけなのだ。

 なんてことを思った壮士だったが、やっぱりそれを口にするはずもなく、

「悪かったよ。謝るから。兄貴はともかく、穂乃佳には黙っててくれ」
「いいでしょう。今回だけですからね?」
「(んだよ、手コキはOKなくせに、尻もみはNGって意味わからん)」

 そうボヤいた瞬間、右耳に壮絶な痛みが走った。

「いてぇぇぇぇッ!」
「ボヤくなら聞こえぬようボヤいてください。お兄様に犯されかけたと、心に吹き込みますよ?」
「冤罪じゃねえか!」
「ふふ……、お兄様とわたくし、心はどちらの言うことを信じるでしょうねえ?」

 自信たっぷりに言う琴子だが、その自信はどこから来るのだろう。ぶっちゃけ対心に限っての信頼度なら、壮士と琴子は目くそ鼻くそじゃないだろうか。

「とにかくわかった! わかったからッ! 耳弾くな! めちゃくちゃ痛いんだぞ!?」

 グルリと首を巡らせ、壮士が唾を飛ばして叫ぶと、琴子は心底安堵したように薄く微笑んでいて、

「本当に、本当に……、お兄様がご無事で良うございました」
「それはこっちのセリフだよ」

 壮士は口元を緩めながらそう答え、琴子の漆黒の瞳を覗き込んで続ける。

「頼むから俺より先に死んでくれるな」
「鋭意努力します」

 そうしてくれ、と壮士は小さく呟き、正面に向き直る。

「んで、なんでお前は生きてるんだ? ここに戻ったってことは勝ったんだよな?」
「無論、勝ちましたが……。なんです? 私が負けるとでも思っていたのですか?」
「そうじゃないけど、マアに言われたんだ。琴子が負けたって」

 琴子は数秒沈黙した後「なるほど」とサラリと言って、それから壮士の正面に回り、顔の右半分をまじまじと観察した。

「私のことより、まずは治療です。……酷くやられましたね」
「まあな、殺される寸前だった。正直ベストとグローブが無かったら殺られてたと思う」
「危ういところでしたね。それにしても私のお兄様になんてことを……、まったく腹立たしい。神の手先は殺したのですよね?」
「っ……」

 瞬間、明の死に顔が頭を過る。
 が、壮士は努めて平静を装い、

「ああ、ぶっ殺してやったよ」

 彼のことを琴子に知られてはならない。
 このさき壮士が死のうが生きようが、この傷だけは自分一人で負わねばならない物だから。
 だが、

「…………」

 琴子の探るような視線が突き刺さる。
 殺人に動揺していると思ってくれたらなら良いが、きっとそうではない。勘のいい彼女のことだ。壮士に秘する何かがあると感じ取ったのだろう。
 だとしても、壮士に答えるつもりはない。

「ホッチキスで止められないか?」

 言って、壮士は琴子への視線を切り、クーリエバッグを目で指し示す。
 わざとらしいまでの拒絶のサインを受け、琴子は一瞬眉間にシワを刻みはしたが、壮士を追求することなくバッグを手に取った。
 何でも揃っているとは言えないものの、バッグの中にはある程度の医療キットが収められている。壮士の言うホッチキスとは文具のそれではなく、医療用ホッチキスのことだ。主に裂傷を縫合するのに用いられる。

「足や腕ならともかく、顔と耳ですからね……。特に耳は根本から真っ二つですし、ホッチキスは使えないでしょう。手で縫合します」
「なら麻酔は無しでいい。薬品は貴重だからな、節約しよう」
「流石はお兄様……と言いたいところですが、それだとものすごーく痛いですよ? それはもう何十回と軟骨を突き刺すわけですし」
「なんでそんな言い方するんだよ……。聞いてるだけで痛いわ」

 この娘、Mっ娘じゃなかったのか。
 というか、尻を揉まれたことをまだ根に持っているかもしれない。
 どっちにせよ、きっと悪いお姉ちゃん(なっちゃん)に悪い影響を受けたに違いない。
 素直で良い子だった最初の頃の琴子を、懐かしむ壮士だった。

「できるだけ痕が残らぬよう丁寧に縫いますね」
「多少不格好でもいいから、なるだけ傷まないようにやってくれ」
「そこは期待なさらぬよう。私も人の身体を、まして耳を縫うなど初めての経験です」

 へいへい、いいからやってくれ、と余裕たっぷりに答えた壮士だったが――、

「ぎゃああああああ!」

 縫われる手前、消毒されるやいなや、壮士は早々と絶叫したのだった。


 ◆◇◆


「はい。耳は終わりました」
「痛かった……、洒落にならん痛さだったよ……。お前、俺を殺す気か?」

 しくしくと泣く壮士に、琴子は盛大に溜息をつき、

「まったく情けない……、最初の意気はどこへ行ったのですか?」
「だって痛いんだよ? 消毒液かけられた時はもう死ぬかと思う痛さだったんだよ?」

 壮士とて長年武道を嗜んできた身だ。怪我なんて日常茶飯事だし、色んな痛みにも慣れている。それでも消毒のあれはもう、切られた時と比べ物にならない痛みだった。
 琴子はしかし、そんな壮士の言い分を一顧だにしない。

「この程度で死ぬわけがないでしょう? 一馬様なんてご自分の首を切り裂き、手を切り落とすまでされたのですよ? 神の拷問にも耐えました。お兄様も少しは兄上を見習ってください」
「兄貴すげえな……」

 前言撤回。もしかすると、兄はそこらに転がってる男とはひと味違う、真の漢《おとこ》なのかもしれない。 もっとも一馬の場合、どのケースも最終的に死んでしまっているわけだが。

(いやいや、三回も悲惨な死に方してるって思うと、やっぱ兄貴すごいわ)

 ともあれ琴子の一馬信奉に、初めて共感できた壮士だった。

「まあ、俺も本気だしたら兄貴ぐらい行けるけどな」
「もちろんです」

 ニコリと微笑む琴子は、どうやら本気でそう思っているらしい。
 思いもしなかった反応に、壮士はなんだか拍子抜けしてしまい、バツが悪そうに鼻の頭を掻きつつ、

「今のは茶化すところじゃないか?」
「? どうして? お兄様なら一馬様と同じくらいのことをやってのけるでしょう?」
「うっわ……、信頼が重い」
「それほどに琴子はお兄様を信頼しているのです」
「そうなの?」
「そうですよ」

 自信満々にそう言い切って、琴子は壮士の頬にチクチクと針を通していく。

 壮士も、琴子も、つい先ほど人を殺めたばかりだ。
 少なくとも壮士は未だ身体が強張っていたし、この非現実でこの上なく現実的な状況に精神も浮足だっていた。
 程度は違えど、琴子も同じだろうと思った。ぎゃーぎゃー騒いだのは真実痛かったからなのだが、一方でそれは、ココロとカラダの緊張を解きほぐさんとする壮士なりの気遣いでもあった。
 それを察して琴子は乗ってくれたのか、あるいは単に自然体でいるだけなのか、

「痛いですか?」
「そりゃ痛いよ。針刺してるんだぞ?」
「ふふ、ごめんなさい。もう少しだけ我慢してくださいね」

 今さら問おうと思わない。
 ただ、今の彼女の落ち着き払った様子を見るに、気負っているのはどうやら壮士だけのようだ。
 本当にとんでもない子だと思う。反面その揺らぎの無さは、彼女の強靭な覚悟の証でもある。

「先に青の部屋の話からしようか」
「是非。ここでの経験はどれも貴重な情報源です。交換して検証しましょう」

 琴子が顎を引いたのを受け、壮士は青の部屋で行われたゲームの内容、それが行われるまでのプロセス、会場の仕様、魔阿と交わした会話の内容などを、詳細に話して聞かせた。
 勿論、対戦相手については知らない男と偽ったが。

「マアさんに感謝しなければいけませんね。私が青に挑んでいれば確実に殺されていたでしょう」
「だろうな」
「ね? 人の善意は信じるべきでしょう?」

 ニヤリと笑う琴子に、壮士は苦笑い。
 運、装備、事前準備と、初戦を生き残れた要因は数々あれど、そのなかでも魔阿のアドバイスが決定的であったことは否めない。赤の部屋でのゲームがどういう類の物であろうと、魔阿の便宜が無ければ、こうして二人揃って生き残れたか怪しいところだ。
 しかし、

「かもしれないけど、結局はお前の力だよ」

 それだって琴子が魔阿に食指を伸ばしたからこそ得られたものであり、もっと言えば、琴子が神威を殺すという決断を下したことに端を発している。
 魔阿の便宜は琴子が手繰り寄せたものだ。殊勲賞は間違いなく参謀殿だろう。

「たまたまですよ。それより今のお話を聞いて、マアさんが誤解された理由がわかりました」
「誤解……? じゃあ、お前が負けたっていうのは……」
「真実です。マアさんは嘘をついていません」
「わけがわからん……。アイツの言い方だと、琴子は100%死ぬって感じだったぞ?」
「誰が見てもそう思うでしょうね。事実わたくしは敗北し、死ぬ寸前まで追い込まれていましたから」

 もっとも、と琴子は続けてニヤリと笑う。

「わざと負けたのですが」

 実に腹黒さんらしいセリフだった。
 壮士は内心『またコイツ、えげつないことしたんだろうな』などと勘ぐりつつ、

「赤の方はどんな……、ってあれ?」

 問いかけたところで、壮士はふと気づいた。

「なんでお前が先に戻ってたんだ? こっちはたった8秒で終わるゲームだったんだぞ?」
「8秒と言っても、その手前で説明やカードの選択などがあったのでしょう?」
「いや、そりゃそうだけど。琴子の方が早く決着がつくってのはおかしいだろ」
「ふふ、良い感じにお兄様も頭が回ってきましたね」

 琴子は満足そうに頷くと、出し抜けに自らの腕時計を外し、壮士に向かって放り投げた。
 壮士は二度三度お手玉しつつ、サバイバル仕様の腕時計を受け取って、

「時計がなんだよ」
「お兄様の物と比較してみてください。そこにヒントがあります」

 促されるまま、壮士は二つの時計を見比べる――と、

「あれ……?」

 おかしい。ここへ来る直前に秒単位で合わせた時計の時間がズレてしまっている。琴子の時計は壮士のそれと比べて13分ほど進んでいた。灰色の世界に踏み入れてから未だ三時間足らず。この短時間の内にズレるはずがない。

「正解がわかりましたか?」
「……この世界は時間が止まってるとか?」
「惜しいですけど、ざんねん、不正解です。その時計は今も時間を刻んでいるでしょう?」
「あ、ほんとだ」

 ふむむ、と首をひねる壮士を愛でるように眺めつつ、琴子は縫合糸をナイフで切った。
 それから琴子は傷口を保護するフィルムをぺたんと貼って、

「これでお顔もおしまいです」
「ん、ありがとう」
「痛み止めを飲みますか?」
「いや、抗生物質だけにしとく。手足の怪我ならあれだけど、顔と耳だからな。痛み止めは飲まなくても問題ない」
「でしたら血を洗い流して終わりにしましょう」
「そっちもいいよ。血だらけの方が、相手がビビってくれるかもしれないだろ?」
「なるほど、確かに。お兄様の物々しいお姿が効くかもしれません。使える物はなんでも使いましょう」
「それで、時計がズレてる理由は?」

 ああ、そうでした、とパチンと胸の前で手を打つ琴子。

「答え合わせのついでに、赤の部屋で行われたゲームについてお話します」
「どういうゲームだ」
「ポーカーです」
「案外普通だな……って言いたいところだけど、当然ただのポーカーじゃないんだよな?」
「そうなります。普通のポーカーと比べて、駆け引きの緊張感は別物と言っていいでしょう」

 セリフの内容とは裏腹に、琴子は楽しげに微笑んで言う。

「なにせ負けたら自殺を強制される、とっても危ないポーカーなんですから」

クロ

クロ

自作小説を投稿しています。成年向けの内容を含みますので18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。
ノクターンノベルズにて「神様のゲーム」連載中です。 ゲーム版の公式サイトはこちら