悪魔の章 013.決意のビデオレター(下)

「心に会いたいか?」
「…………、はい。叶うなら」

壮士の提案を受け、琴子は刹那息を呑み――、そしてシッカリと頷いてみせた。
当然あの子に会えはしない。心は死んだのだ。
だが、未来の琴子に宛てたビデオレターがそうであるように、記録には残せる。

壮士は取り出したスマホをコツコツと叩きつつ、

「ここに心の映像が残ってる。お前たちが神に連れ去られる前の日の映像だ」
「そんなものが……?」
「だけど俺は、この映像があることをずっとお前に黙ってた。迷ってたんだ」
「私が辛い思いをするかもしれないから、ですか?」
「そうじゃない。悩んでいたのはもっと別のことで……」

ずっと考えてきた。今だって考え続けている。
壮士はしかし、約束の日が間近に迫った現在となっても未だ答えを出せないでいた。

「俺はお前にどうしてやればいい?」
「…………」
「仮に二人揃って悪魔のゲームに生き残れたとしよう。そしたらお前は代償を支払わされる。そう、俺たちは契約を結んだ。魂に刻まれてる。
俺は約束を守るよ。どんなことだってする。ぜったいに諦めない。
お前が失う……いや、琴子と兄貴と心が失ったものを取り戻せるよう、なっちゃんの力借りてさ。俺、死に物狂いで頑張るよ。
だけどもし、もし、頑張った末にお前が望まなかったら……。俺はどうしてやればいい?
お前と兄貴と心の意思を踏みにじって、そんなものいらないって言ってるお前らの気持ちを無視してさ。無理矢理くっつけようとすることが幸せなのかな?」

記録は残せる。想いに形を与えることもできるだろう。
しかし、未来の現実に生きる三人は生身の人間だ。
どれだけ記録を残そうと。たとえ壮士や奈津が記憶していようと。
重ねた経験、想いや感情をデジタルに移し替えることはできない。
円成寺琴子は円成寺琴子のまま、桐山一馬は桐山一馬のまま、そして桐山心は桐山心のまま、彼らは同じ人でありながらまるで別の人になってしまう。
そんな彼らが真に拒絶したとき、自分はどうあるべきか。
その答えを壮士は見出だせないでいた。

察しの良い妹は、そんなこちらの想いを正しく汲み取っているはずで――、

「見せてください」
「琴子……」

胡乱に呟き、なお躊躇った壮士に対して、琴子はうっすらと瞳を潤ませて言う。

「心に会いたいです。どうか」
「わかった」

他でもない琴子に請われては断れる筈もなかった。
琴子は左手で、壮士は右手で。
二人は一緒にスマホを支えて、それから頭をくっつけて画面を覗き込んだ。

「しかしゲームの前日の、それも心の映像なんて……、どうしてお兄様が?」
「頼んでもないのにアイツが送りつけてきたんだ。ま、送ってきた理由は見ればわかる」

最初に映し出されたのは飲食店のような建物。
周囲は暗く、白熱灯の柔らかい光が洒落た外観の店舗を照らしていた。
と、そこでカメラがグルリと反転して自画撮りモードへ。

『はいはーい。こんばんはー壮君。こちら愛しの妹、心ちゃんですよー♪』

ニコニコと笑う心の姿が映った瞬間、琴子は見たこともない優しい微笑みを浮かべ、

「心だ……」

壮士は琴子に負けないぐらいの優しい微笑みを作り、黙して顎を引いた。

『今日はデートの日です。というわけでぇ、じゃーん! 今日はイタリアンをご馳走してもらうことになりました! いいでしょ~。ちょっぴりお高いお店なんだよ?』

大仰なジェスチャーで芝居がかったセリフをのたまう従妹様。
それを見た壮士はこれ見よがしに舌打ちして、

「何回見てもテンションたけえな」
「デートの日とは?」
「ああ、デートの日ってのは……、俺らがやってる兄妹の日みたいなもんだな。穂乃佳が就職したのが切っ掛けだったか? 月イチで外に飯食いに行くようになって、それを心がデートの日って呼んでんの」

なるほど、と琴子が微笑みながら画面に目を戻す。

『で、それでねぇ~? なんでこんなビデオ撮ってるんだって、いま壮君思ってるよね? わかる! ウン、心ちゃんは壮君の気持ちがよっっくわかるよ。でも! それは最後まで見てくれたらわかるから! もうちょっと待っててね♪』
『こころぉ? なにしてるの? 行くよー』
『あ、はーい。お姉ちゃん呼んでるからまたあとでねっ!』

そこで一度画面は暗転。
停止ボタンを押さずにカバンへ放り込んだのだろう。
真っ暗な画面のままゴウゴウとくぐもった音が鳴る時間が続いた。

「今の見ただろ? めちゃくちゃ値打ちこいてるのウザくない?」
「またそんなこと言って……。あ、続きが始まったみたいです」

そこからは心と穂乃佳が料理を堪能している映像が続いた。
一つ一つ料理を映してアレコレと感想を述べる心に、流石に穂乃佳も我慢の限界がきたのだろう。

『心っ、ご飯食べながらスマホ触るのやめなさい。行儀悪いよ』
『ごめーん。でも今日だけ許してっ。壮君のためだから』
『壮士のため……?』
『うんっ、壮君のために撮ってるの。壮君の元気の源にするんだあ』

そう心はニコニコ笑いながら言って、穂乃佳ひとりにカメラを向ける。

『そんじゃ、お腹もいっぱいになったし、そろそろ本番と行こうか、お姉ちゃん』
『? 本番って?』
『んと、まずはご婚約おめでとうございます!』
『あ……、うん。ありがとうございます……?』

目を丸くして、それからほんのり頬を紅く染める穂乃佳。
そこでもう一度心は自分にカメラを向けて、

『念のためにフォローしとくと、お姉ちゃんは先週プロポーズされたばっかりです。今日は彼女から婚約者にクラスチェンジしたお姉ちゃんと初めてのデートの日だよ。壮君、これ重要なポイントだからちゃんと覚えといてね?』
『……ねえ、それ壮士に見せるの?』
『当たり前でしょう? 壮君のために撮ってるんだから』
『恥ずかしいよぉ……』
『いいからいいから。次いくよー。プロポーズされたとき、お姉ちゃんはどう思いましたか?』
『なあに? そのインタビューみたいなの』
『みたいもなにもインタビューだよ? さ、こたえてー』
『んと……、プロポーズされたときにどう思ったかあ……』
『嬉しかった?』
『うん、もちろん嬉しかったよ。嬉しかったけど……、私たちってまだ24でしょう? 「え、もう結婚するの!?」ってビックリする気持ちもあったかな?』
『確かに壮君おもいきったよね。でもお姉ちゃんだって、壮君と結婚するつもりあったんでしょ?』
『そりゃそうだよ。ずっと壮士と一緒にたんだから。いつかそうなれたらいいなって思ってた。だからかな? プロポーズされたとき「やっとかぁ」みたいな安心したような気持ちもあったかも? とにかくすごーっく嬉しかったよ』
『ゴメン、ちょっと気持ち悪くなってきた』
『ん? 食べ過ぎちゃった?』
『違うよ……。あまあまお姉ちゃんにあてられたのっ。それにしてもお姉ちゃんってさ、ほんと、壮君のこと好きだよね? 直ぐに好きって言うし』
『好きだもん』
『……うん、知ってるけどね。私あのとき止めたのに……。まあ私には一生理解できない気持ちだよ』
『ふふ、心は色々と意地悪されてるからね。あいつなりの愛情表現なんだけどな』
『そんな曲がった愛情ノーサンキューです。私は優しくされたいです』
『それは心の言う通りだね。壮士が悪い』
『って、話がそれちゃった。それじゃ次ね』
『まだ続けるのぉ? もうやめようよ、恥ずかしいって……』
『子供は何人ほしいですか?』
『んと……、二人か三人かな? ひとりっ子は寂しいだろうし』
『恥ずかしいって言うわりにサクサク答えてくれるお姉ちゃんです』
『こころぉ~』
『ゴメンゴメン。でも三人かあ、私ひとりっ子だけどぜんぜん寂しくないよ?』
『私だってひとりっ子だよ?』
『お姉ちゃんは寂しかった?』
『こっちに越してくるまでは寂しいって思うこと結構あったかな』
『そうなんだ。わたし思ったことないかも』
『それは心が特別なんだよ。カズ兄に感謝しないとね』
『もちろん、お兄ちゃんにはいつもいつも感謝しています』
『だったら。もうそろそろカズ兄離れしないとね。こないだカズ兄ボヤいてたよ? 心ちゃんはいい加減彼氏のひとつでもつくったらどうなんだって』
『その話はまた今度ね。今はお姉ちゃんが主役だから――』
『あ、今ので思い出した』
『ん?』
『なにって話じゃないんだけど、わたし未だにカズ兄の心ちゃんっていうの慣れないんだよね』
『カズ兄の心ちゃん?』
『心ちゃんって呼び方のこと』
『ああ、そのことか。お兄ちゃんが社会人になってからだから……』
『うん、もう五年近くになるんだけどね。未だに私「え? 心ちゃん?」ってなるときあるもん』
『お兄ちゃんも変なこと考えるよねー」
『ほんと。だいたい「もう社会人なんだし、ちゃんと親戚のお兄ちゃんらしくしないと」って理由からしてわけわかんないもん』
『まあ、お姉ちゃんの言いたいことはわかるよ? 「親戚のお兄ちゃんらしく」が、なんで「心ちゃん」になるのか、わかんないよね。けどお兄ちゃんはね、ただ形から入ってるだけなんだよ。私を心ちゃんって呼ぶことで、私に尊敬してもらえるような立派な大人にならなきゃって……誓い? 自分への戒め? みたいにしてるだけなの』
『おお、そうだったんだ。心はほんっとカズ兄のことならなんでも分かるんだね』
『うん、お兄ちゃんのことはぜんぶわかっちゃうの』
『ふふ、自信満々だっ』
『まんまんですっ』
『とにかくあのカズ兄だからね……、一度決めたら徹底的に、だもん。あれから私、一度も「心」って呼び捨てにしてるの聞いたことない』
『はは、お兄ちゃん頑固だからねー。よっぽどのことがない限り私のこと心って呼ばないんじゃないかな? まあ、私はどっちでもいいんだけど。もう心ちゃんで慣れちゃったし』
『そりゃそうだよ。心は毎週のようにカズ兄と会ってるんだから』
『お姉ちゃんはたまにしか会わなくなっちゃったもんね』
『うん、カズ兄が一人暮らしするようになってからぜんぜん会えなくなっちゃった。昔は毎日顔合わせてたのに、ちょっと寂しい』
『寂しいなら会いに行けばいいじゃない』
『心と違って私は暇じゃないの』
『私だって暇じゃないよ。友達と遊ばなきゃだし、部活もあるし』
『じゃあカズ兄のとこ通うのやめなよ』
『それはいいのー、……って、いつまでこんな話してるのよぉ。お姉ちゃんが主役なのっ』
『わざわざ話逸らしたのに……』
『まあいいや、長くなっちゃったし、そろそろ締めにしよっか』
『もう……、今度はなに言わせるつもり?』
『壮君にメッセージをどうぞ』
『はえ……?』
『だから、もうすぐ旦那様になる壮君になにか一言』
『やだよ』
『いいからいいから』
「や・だ』

顔を赤くしてそっぽを向く穂乃佳――と、急にガタガタと画面が揺れた。
たぶんスマホをどこかに立て掛けているのだろう。
やがて心は穂乃佳の隣に陣取ると、柔らかな微笑みを彼女に向けて、

『ね、お姉ちゃん』
『……なによ?』
『十年後にね、壮君と二人でこのビデオを見てほしいんだ』
『…………』
『私から二人へのプレゼント。私の大好きなお姉ちゃんが幸せいっぱいで、あんまり好きじゃない壮君がお姉ちゃんを幸せにしてくれた。その証? みたいなもんだよ。穂乃佳お姉ちゃんの幸せを形にするの。あ、結婚式の時はまた撮ってあげるから』
『心……』
『夫婦喧嘩したときに見てくれてもいいよ? それで仲直りできるかもしれないじゃない』
『心は心配性だなあ……、でも嬉しい』
『あとね、このビデオは壮君のために撮ってるんだって言ったよね?』
『うん』
『私ね、お兄ちゃん見ててよく思うんだけど……。ほら、お兄ちゃんって印刷関係のお仕事じゃない? 締切り前とかほんと死相出てるんだよね』
『あー、たしかに。カズ兄大変そうだよね……』
『で、壮君は映像関係のお仕事でしょう? ときどきお姉ちゃん言ってるじゃない。また壮士ロケで出張だってー、しばらく会えなくなるよぉー、やだー、寂しいーって』
『そんなこと、わたし言ってる?』
『え……、自覚ないの?』
『うそ、ある。寂しい』
『あははっ。でねでね、お姉ちゃんが寂しいってことは壮君だって寂しいはずなんだよ。だから寂しいときにこのビデオ見て元気出してもらえたらなーって。俺にはこんな可愛いお嫁さんいるんだー、頑張るぞー、おー、みたいな。あと、お仕事失敗しちゃったときとか、落ち込んだときとかも。このビデオを壮君の元気の源にしてもらうの。壮君もお姉ちゃんに負けず劣らずべた惚れだからねー。きっと元気でるよ?』
『むぅ……なんか、ちょっと妬ける……』
『はあ?』
『私より壮士のこと想ってる』
『そんなわけじゃないでしょー? 私、わりと本気で壮君きらいだよ? ううん、違う。普通にキライ』
『嘘ばっかりっ! 壮士のことすごく考えてるじゃないっ』
『それはお姉ちゃんのため。お姉ちゃんが不幸になったら私ヤだもん』
『そっか……。お姉ちゃん、心が優しい子に育ってくれてすっごく嬉しい。うん、自慢の妹だ』
『へへっ~、褒められたぁ……。まあ、私はそうは思わないけどね。でももし、私が良い子なんだとしたら、それはお兄ちゃんとお姉ちゃんの背中を見て育ったからだよ』
『だったらいいな……』

心の気持ちが嬉しかったのだろう。
穂乃佳は一瞬泣きそうな顔になって、それから椅子に座り直し「んん」と咳払い。
カメラから目を逸らさず、けれども顔を真っ赤にして――、

『じゃあ、話す』
『うん、わたし隣で聞いてるね』

心はニパッと笑って、穂乃佳を勇気づけるようにギュッと手を握った。

『えっと……、壮士。プロポーズしてくれてありがとう。
もう十年以上の付き合いになるね。出会った頃のこと覚えてるかな? 私ね、いじわるばっかりする壮士のことが大嫌いだった。
でもね、可愛いからだーって言ってくれたとき、ちょっと嬉しかったんだ。あんたのこと初めて可愛いって思ったのもあれが初めてだったかもしれない。
私たち、なんだかよく分からない内に付き合うことになっちゃって、それからたくさん喧嘩して、その度に仲直りしたよね。私、ぜんぶ覚えてるよ。今も昔も、ずっと壮士と一緒にいて幸せだった。
新しい幸せをくれてありがとう。
これから先も大変なことたくさんあるだろうけど、これまでと同じでいいと思うんだ。いっぱい喧嘩して、話し合って、そしたらまた仲直りしよう。私、いいお嫁さんになれるよう頑張るね。あんたも自慢の旦那になれるようがんばんなさい。大好きだよ、壮士。い、以上! です……』
『あの……、お姉ちゃん……』
『な、なに……? とんでもなく恥ずかしいんだけど……』
『あまりの甘ったるさに吐き気がしてきた』
『心が言えって言ったんでしょうっ!?』
『なんかコレ、壮君に見せるのムカつくなあ。消していい?』
『だめ! あ……、やっぱり消して! こんなの壮士に見せられないよ!』
『そういうわけだから、壮君しあわせになってねー……。ばいばーい……』

いやいや感たっぷりな心の一言を最後に、ビデオは終わった。

「――大丈夫です。私が側に居ますから」

そう言って、琴子の細い指がこちらの目尻をなぞる。
そうされて初めて、壮士は自分の目から涙がこぼれ落ちていたことに気づいた。

「うっわ、カッコ悪い……」
「格好悪くありません。その涙は、お兄様が穂乃佳様と心を大切に思っている証ではありませんか」
「まったく、フォローまでされちまったよ」
「フォローなどではありません。私とて同じ証を持っていますから」
「琴子、お前……」

琴子のそれは本当にただの慰めではなかったようだ。
彼女の大きな瞳に溜まった滴が頬を伝い、その白い肌に一筋の悲痛な道が作られていたから。

「可哀想に」

壮士は歯を食いしばって無理やり涙をせき止めると、お返しとばかりに琴子の目尻を拭い、それから短くなってしまった黒髪を繰り返し撫でた。
琴子は嬉しそうに目を細めて、されるがまま慰めを受ける。

「俺さ、心と穂乃佳がこのビデオを撮った日、兄貴と飲みに行ってたんだ」
「そうなのですか?」

壮士は「うん」とゆるく顎を引いて、撫でる手を止めずに続ける。

「本当にただの偶然なんだけどな。その前の週に穂乃佳にプロポーズして、オッケーしてもらって、浮かれててさ。そんであの日は、兄貴がお祝いだって誘ってくれたんだ」
「そうですか……」
「楽しかった。兄貴、自分のことのように喜んでくれてさ。良かったな壮士、本当に良かった。俺も一緒に婚約指輪選んだ甲斐があったよって。ところでお前金持ってんのか、足りないなら俺が貸してやるぞって。そう言うんだ。
だから俺、貸すだなんてケチくせえこと言わずにクレよって言ったんだ。そしたら兄貴、アホ、これから所帯持とうって男がなにいってんだ。とにかく女にとっては一番の晴れ舞台なんだからいい思い出作ってやるんだぞって。俺にとっても穂乃佳は大切な妹なんだからなって。そう言って俺の背中バッシバシ叩いてさ……。兄貴、ずっと笑ってんだよ」

切々と語る壮士に、琴子はただ黙するだけで。
けれど彼女は頭を撫でるこちらの手をギュッと掴んで、心は共にあるという意思を示してくれた。

「二人して浴びるように酒のんでさ。結局三軒はしごの午前様だよ。だから……、そんなことしてたから、お、れっ……」

そこまで話した時にはもう駄目だった。
なにをどうやっても堪えられそうになかった。

「こころが送ってくれたこのビデオに気づいたの……次の日のひるで……、もうお前らが連れ去られたっ……あとだったっ……」

溢れ出す涙を。湧き上がる悲しみを。死にたくなるような後悔を。
そしてずっと、かたくなに琴子へ伏せてきた想いの丈を――。

「おれっ、おれさぁ……、こころに言ってやれなかった。ビデオありがとなって、うれしいぞって。お前はきらいかもしんないけど、おれは愛してるよ、大好きだって。気持ちつたえないままっ……こころをっ、死なせちまったッ……」
「おにっ、さま……」
「あんなにも俺たちのこと喜んでくれた兄貴がさ、穂乃佳を……それもあんなむごい殺し方……、どんだけ苦しかったんだろうって、どれだけ自分を責めたんだろうってッ……。なのに、なのに俺、兄貴のこと殺してやりたいなんて思うんだ……。よくも穂乃佳をって我を忘れる瞬間がある。だって頭にこびりついて離れない。毎日毎日夢に見る。死に際の穂乃佳の『助けて壮士』って声が聞こえるんだよ……」
「ば、か……」

気づけば琴子は口に手を当て、体を小刻みに震わせながらとめどなく涙をこぼしていた。

「あ……。ご、ごめ……」

わかっていた。きっとこうなると壮士はわかっていたのだ。

「すまない……。お前を悲しませたくなかったんだ。自信がなかったんだよ……。だってこのビデオを見せたら抑えられない。俺はきっと気持ちを吐き出しちまう。そしたらさ? お前、悲しむだろう? 本当はそれがただ怖くてビデオのこと黙ってた。お前は心に会いたがるだろうって知っていたのに俺……、本当にごめん……」

そんな懺悔にも似た壮士の告白に、琴子はふるふると何度も何度も首を振って、

「もっと早くっ……、本当のお気持ちを聞かせていただきたかった。そしたら分かち合えたのです。お兄様と私とで痛みも悲しみもはんぶんこして、一緒に泣くことができたのにっ……」

でもっ! と琴子は涙でクシャクシャになった顔で壮士を睨む。
そうして拳の腹でこちらの胸をドンと叩き、

「私がッ……! これまで何も思わなかったとお思いですか!?」

ずしんと全身に響く彼女の拳を受け、壮士は大きく目を見開き絶句した。
しかし琴子は固る壮士などお構いなしに、ドンとまた胸を叩き、

「アーニャさんを、美月様を、萌様を、百合子様を取り戻したい……? ええ、ええ、とても立派で高尚なお志しです。さすがは私がお慕いした一馬様。さすがは敬愛する私のお兄様です」

鬼の形相を貼り付けて琴子は再度胸を叩く。叩きつける。
恨みつらみをぶつけるように、何度も、何度も、拳を叩きつける。

「そんな、そんな……、ここにある! この胸に詰まっている男の意地! プライド! 綺麗で残酷な想いが! 親友の心をッ! 幸せのただなかにあった穂乃佳様をッ! 無慈悲に殺したのですッ! 貴方たちが悪魔の誘いに乗らなければ、きっと私は幸せになれた! その機会を奪ったのは他でもない一馬様とお兄様なのですよッ!? 真実を突きつけられたあのとき、私がすんなり受け容れたとでも思っていたのですかッ!? そんなわけがないでしょうッ!?」
「こと、こ……」
「だけど! だけどぉ……、私だって皆様のことを取り戻したいから……。お母様ともう一度向き合えるならって思ったから! だから私はすべてを飲み込んでここまで来たのですッッ! なのに、いまさらになって本当の気持ちを吐露されるなんて卑怯ではありませんか!? だったら最初に言ってほしかった! そしたら私はお兄様を責められたのですッ! なんてことをしてくれたのだと詰れました! ふざけるなと罵れましたッ! そうして私のすべてをさらけ出して、お兄様の本当のお気持ちを受け止めてさえいれば! もっと近くでッ、心の奥底からッッ、お兄様と寄り添うことができたのにッッ! 私はそうしたかったのですッッ! なのにっ、~~~~ッ、その目は節穴ですか!? もっとちゃんと私のことを見てください!」

濁流のようにそこまで吐き出したあと、琴子は癇癪を起こした子供のようにわっと泣き出した。

「うああああッ! おにいさまのあほう!」
「あ……、あぁ……、っ……」

壮士は己の不明と、いかに自分が独りよがりであったかを自覚し、そしてそのことをただひたすらに恥じた。
予感は間違っていなかった。なにひとつ、これっぽっちも、琴子と寄り添えていなかった。
笑いかけてくれる。怒ってもくれる。喧嘩もする。だけど、琴子は今の今までずっとひとりぼっちだったのだ。

自分を偽ることがとても上手な女の子。

本当はぶつけたい気持ちがたくさんあった。
ぶつけられる人は壮士しか居なかった。他は皆死んでしまったから。
なのに彼女は、吐き出したい想いのすべてを胸の奥にしまい込んだ。
壮士が耐えているなら私もと、そう思って我慢していたのだ。とても強い子だから。

琴子の言う通り、彼女が手にする筈だった幸せを台無しにしたのは一馬と壮士だ。
それを一馬はちゃんと自覚していた。侘びてもいた。『お前の幸せをぶち壊しにしたのはすべて俺の身勝手だ。すまない』と遺書にそう綴ってあったのだ。
そして兄は自らが強いる理不尽の代償に、己の心を極限まで摩耗させ、魂を穢し、神からの拷問に耐え、最期は首を切り落とされて絶命した。

「おれ、は……」

それに引き換え、もう一人の罪人である壮士はどうか。あろうことか怠惰を貪ったのだ。
甘い。なにもかも甘すぎた。
もっと琴子を、一心にこの子を見つめるべきだった。
琴子に強いた仕打ちを思えば、悪夢にうなされるなんてどうだっていいことだ。

彼女が契約を交わしたあのとき思った。
琴子を守り、そして一馬と心に成り代わり彼女を慈しむことが自分の役目であると。
そう思ったはずなのに――。

「琴子……」

言葉にならない。言葉を見つけられない。
だから壮士は力の限り琴子を抱きしめることしかできなかった。

「ごめん。ごめんな琴子……。どうか許してくれ。俺にはもうお前しか謝れる人がいないんだ」
「うあああああああッ! あああああああッ――!」

誰もいない真っ暗な海岸に、むせび泣く男の声と、盛大に泣く女の声が響く。

血が繋がらぬどころか遠い縁戚ですらないハリボテの兄妹。
そんな二人が過ごす特別な最後の一日。

きっと壮士は自覚していなかっただろう。
きっと琴子も自覚していなかったはずだ。

けれどこの時を以って、ようやく二人は命を預け合える本当の兄妹となったのだ。

◆◇◆

どのくらいの時間、二人で泣き続けただろうか。
腫れぼったい目をした壮士と琴子は、相も変わらず大の字に砂浜に転がっていた。

「先ほどのお話ですが」
「どれのことだ」
「記憶を失った私や一馬様が心の底から拒絶したとき、どうすれば良いのかというお話です」
「そのことなら忘れてくれ。痛みを負う当人のお前に答えを求めるなんて間違ってる。万一そうなったときは、俺が自分で考えて結論を出すから」
「でしたら参考程度にお聞きください。最終的にどうするのかは、お兄様がお決めになられて構いませんから」
「そういうことなら。琴子の希望ということで聞いておく」
「はい。二つ、ございます」
「じゃあ、一つ目をどうぞ」
「お兄様の幸せを優先させてください。ゲームに生き残れたとして、結果お兄様が不幸になることを私は望みません」
「わかった。二つ目は?」
「私のことは絶対に諦めないでください」
「……それって一つ目と矛盾してないか? 記録見せて、話して聞かせて、一生懸命説得して。それでもお前はいらないって言う。どんだけ時間を掛けてもお前は拒絶し続ける。その結果、俺やなっちゃんが不幸になっても絶対に諦めるなって、そういうことだろう?」
「ええ、その通りです。逆に言えば一馬様と心のことは諦めていただいても構いません」
「どうしてお前だけ?」
「私さえ落としてくだされば、一馬様と心のことは、私がどうとでもしてみせます」

とても琴子らしい考え方だと思った。
彼女は自分の想いの強さと、鋼の意思と、そして成し遂げる絶対の自信を誇っている。

「自信家だな」
「あくまでも参考程度にと申しました。一馬様たちを取り戻したいと願う気持ちと同じだけ、私はお兄様の幸せを願っています」

もっとも――、と琴子は実に不遜な微笑みをこちらに向けて言う。

「私が負う代償に限っていえば、お兄様は何もかもを放り出して徹頭徹尾私に尽くす義理が有るとも思っておりますが」
「違いない」

ほとんど脅しに近いそれを受け、壮士は苦笑を返す他なかった。
琴子をゲームに巻き込む羽目となったのは当然として、彼女に代償を負わせることになったのまた、一馬と壮士の手落ちが原因だ。
それを琴子は甚大な貸しだと言っているのだ。
ならば壮士と一馬は自分の幸せを投げうってでも彼女に尽くさねばならないだろう。

「無論、お兄様と奈津に手間を取らせぬよう、考え得る限りの手は打っておきます。……が、このお話はやめにしましょう。お兄様もお悩みになるのはやめてください」
「絵に描いた餅か」
「ええ、まずは生き残ること、神殺しに専念しましょう」

――そうしていただけると、こちらとしても有り難い。

その聞き覚えのある声が響いた刹那、

「壮士殿、琴子嬢、ご無沙汰をいたしました」

言って、優雅に一礼する老人。
悪魔を称する白老は、やはり瞬きする暇もなく壮士と琴子の頭の側で直立していた。
しかし、壮士と琴子は特別驚きはせず、むしろ彼らの右手は自身の腰に伸びていた。
その様を目の当たりにして、悪魔は実に満足そうに顎を引き、

「素晴らしい反応ですな。お二人とも良いご準備をされたようだ」
「まあ、手を伸ばしたところで得物はないんだけどな」

壮士はそう答えつつ、腰に伸ばしていた手をゆっくりと離してゆく。
言うまでもなくここは現実世界。まして今は訓練時間ではない。
伸ばした手の先にはベルトがあるだけだ。

壮士の後を引き継ぐように、琴子は寝転がったまま軽く肩をすくめて、

「いつですか」

琴子の声音は確信の色が含まれていた。
そんな彼女な実利的な問いが気に入ったのか、悪魔は口角を持ち上げて答える。

「今日から数えて十日後と相成りましてございます。此度は殺し合いの準備が滞りなく整いましたこと、ご報告に参上しました」
「十日後、ですか」
「はい。先だってお伝えしていました四ヶ月の準備期間から三・四日早い開催となりますが、異論はございませんか?」
「悪魔」

老人を呼んだ壮士の声は、これ以上冷ややかには言えないと思えるほどの怜悧な響きを帯びていて。

「四ヶ月はお前と神の都合だ。俺たちはただの一度も時間をくれだなんて頼んだことはない。準備なんてどうだっていいんだよ。いま、この瞬間に始めてもらっても構わない」

全身から怒気を滲ませた壮士のそれを受け、悪魔は愉しげに柏手を打ち、

「これはなんとも心強いお言葉。お二人に於かれましては力をご存分に発揮いただき、どうか神殺しを成し遂げていただけますよう期待しています」
「ジジイてめえ……、煽ってるのか?」
「まさか。純粋な称賛と期待を述べたまでのことです」
「この際だからはっきり言っておく」
「ふむ、お聞きしましょう?」
「俺と琴子を駒と思うのは構わない。ただし、舐めた口をきくな。小馬鹿にしたような拍手なんてするな。最初に琴子が言っただろう? 俺らにしてみればクズもお前も同類なんだ。罪もない人間をさらって、殺して、挙句お前らの喧嘩に巻き込まれてる。こちとらできることならお前も殺してやりたいぐらいなんだ。そのあたりを汲んでくれ」
「承知しました。今後お二人の気分を害さぬよう、一層配慮することをお約束します」
「悪魔さん。その丁寧な言い回しが余計にこちらの感情を逆撫でしているということを、どうぞご理解ください。なにぶん我らは矮小な人間。貴方ほど余裕がないのです」
「畏まりました」

壮士が吹っ掛けても、琴子が難癖をつけようと、悪魔は整然と受け流してしまう。揺れる素振りすら見せなかった。

「お兄様」

と、そこで琴子から「もう食って掛かるな」と目配せ。
それを受け、壮士は答えの代わりに手をヒラヒラと振って、

「で、爺さん。俺たちはどうすればいい?」
「十日後の朝、一馬殿のお部屋でお待ちください。会場までご案内します」
「わかった」
「他にご質問は?」
「ゲーム内容の説明はいつですか?」
「会場に到着してからの説明となります。これは両陣営ともに同様の措置です」
「武器・医薬品など、装備の持ち込みは可能ですか?」
「ご随意に。事前準備も実力の内です。ただし装備品の持ち込み許可が、その使用を永続的に保証するものでないということをお含み置きください」
「……つまり、悪魔のゲームとは暴力行為が禁止される局面、ないし飲食の制限が課せられる局面がある。そう理解して良いですか?」
「やはり嬢は利に敏い方だ」
「とつぜん世辞を言われても困惑します」
「世辞ではありません。言質を取ろうとするのはおやめください。どう質問をこねくり回そうと、ゲームの内容を――、たとえそれが限定的な絞り込みであっても、推測の材料となり得る情報は提供できかねます」
「相変わらず食えない悪魔ですこと」
「そのお言葉、そっくりそのままお返ししましょう。ああ、念の為に申し上げておきますが、先に仕掛けてこられたのは嬢です。そっくりそのままお返しされご不快に思われたとしても、それは嬢の責任です」
「あらあら、保身に余念がないことで」
「ハハ、あまり老骨をいじめないでいただきたい」

カラカラと嗤いつつ、悪魔は壮士・琴子の順に目をやった。
二人が頷き質問が無い旨を示すと、今一度白老は優雅に一礼して、

「それでは十日後。殺し合いの舞台でお会いしましょう――」

その言葉を最後に、悪魔は煙のごとく消失した。

数秒の空白を経て、壮士と琴子は自然と見つめ合った。
やがて壮士はゆるく微笑んで、

「勝つぞ」
「はい」

壮士が琴子の頬にそっと触れると、琴子もまた壮士の頬に手を伸ばした。
そうして二人は互いの温もりを感じながら己と相手に誓いを立てる。

「必ず守る」
「私もお守りしましょう」

◆◇◆

壮士と琴子は並んでカメラの前に立つ。

それは決意のビデオレター。
殺し合いを目前に控えた二人が、失ってしまう未来の琴子へ向けた特別なメッセージ。

壮士は琴子の肩を抱き寄せて、未来の琴子に語りかける。

「琴子。右を向け、左を向いてみろ。お前は独りじゃない。俺となっちゃんが一緒にこれを見ているはずだ。それが俺とこの子が勝った証だ。心配ない。三人力を合わせてお前の幸せを取り戻していこう。……勝って戻る」

琴子はかすかに憂いを顔に貼り付け、未来の自分に切々と語りかけた。

「貴女に言いたいことは一つだけです。幸せになりなさい。これまで貴女が背負ってきた悲しみ、苦痛、罪、涙、喪失感、口惜しさ……。それらの一切は私が背負いましょう。貴女はもう自由です。ただ真っ直ぐに、幸せになることだけを考えて生きてください。お兄様と奈津が力を貸してくれます。二人を頼りなさい」

――心配しないで。これから犯す罪も、ちゃんと私が引き受けますから。

最後にボソリと呟かれた一言。
悲痛に彩られたその言葉は潮風のなかに溶けてしまい、誰の耳にも届くことはなかった。

クロ

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