悪魔の章 002.契約交渉(上)

一馬のマンションから車を走らせること十五分。

「まあまあ、ここが……」

パンと胸の前で手を打ち鳴らし、目をキラキラさせる琴子。

色鮮やかな電飾メニュー。店内に満ちる芳ばしい香り。
壮士らが今いるのは誰もが知っているハンバーガーチェーン店だ。

興味深そうにメニューを眺めては、ポテトを食べさせ合うカップルを見てニンマリと笑ってみたりと、琴子の子供のようなはしゃぎように壮士は苦笑いを禁じ得ない。
壮士にとってはどれも馴染みの光景だが、琴子の目には全てが珍しく映るようで、

「楽しそうだね」

壮士が口元を緩めながらそう言うと、琴子は喜色満面の笑みをこちらに向けて、

「ずっと外から眺めるだけでしたから。一度入ってみたくて」

そっかと壮士が微笑むと、琴子は少し表情を暗くしながらこちらの服の袖をちょんと摘み、

「でも、思っていたより人が多いですね。ちょっと物怖じしてしまいます」
「…………」

一万パーセント嘘だ、と思う壮士である。

ちょうど昼どきということもあって、店内はそれなりに混み合っている。が、丸太のように図太いこの娘が人混みなんぞに物怖じするなどあり得ない事だ。ほとんど天変地異である。

琴子が初めてこちらを「お兄様」と呼んでから僅か三十分。
やっぱりそうかと確信しつつ、壮士はここに至るまでの経過を振り返った。

食事の誘いに琴子は二つ返事でオーケーし、それなら車を出そうと二人は駐車場へ。
その際、壮士は後部座席へ座るよう琴子に勧めたのだが、彼女はこれを固辞。壮士は首をひねりつつも了承して、つつがなく出発と相成った。

ハンドルを握る壮士。助手席に座るはそこそこ歳の離れてた女の子。

壮士は一馬ほど社交的ではないし、愛想も決して良いとは言えない性格なのだが、人見知りはしないタイプだ。
とはいえ、日常生活のなかで年下の女の子と話す機会など無いに等しい。数少ない引き出しを漁ってみても、壮士がモデリングできるのは心ぐらいしかいなかった。
加えて残念なことに、心に対してはイジるのが基本になっていて、お陰様で従妹には『壮君キライ』と言われる始末。
まさか初対面に近い琴子をイジルわけにもいかず、壮士は『なにを話せばいいんだ』と内心悩んでいたのだが、

『お兄様はどんなお仕事に就かれているのですか?』

そんな心配は杞憂に過ぎなかった。

琴子が車中で「お兄様」と口にした回数は、実に22回(適当)を数える。
怒涛のお兄様攻勢に壮士は相槌を打つのが精一杯。
要するに、こちらが何をせずとも琴子の側からグイグイ距離を詰めてきたという次第だ。

そうして現在。

「……人混み、苦手なんだ」
「ええ、あまり得意ではありません」

そんな経過があった手前、こうして“しな”を作りながら服の袖を掴んで来るのも、壮士の目にはあざとく映る。
少しでも早くこちらと仲良くなろうと思ってのことなのか、あるいは将来の一馬争奪戦に向けた戦術なのか。
前者と思いたいところだが、間違いなく後者であろうというのが壮士の感想である。
この腹黒。対心戦を見据えて、今からこちらを取り込んでおこうという腹積もりなのだ。

けれど、悲しいかな。可愛くて胸のデカイ女の子に擦り寄られては壮士も悪い気はしない。
打算と分かっていても琴子への好感度は上がる一方だった。

ともあれ。

「さ、突っ立っていないで注文しようじゃないか」
「はいっ」

跳ねるようにカウンターへ向かう琴子。
ワクワク感を滲ませる後ろ姿を眺めながら、壮士は自然と口元を緩ませる。

ファストフードを訪れたのは琴子たっての希望だ。
最初壮士は「遠慮か、気遣いか」と勘ぐっていたのだが、このはしゃぎっぷりからして、どうやら本当に来てみたかっただけなようだ。

「にしても、初めて一緒に食う飯がハンバーガーか。他にいくらでもあるだろうに」

連れてきた甲斐があったと感じる一方で、もう少しマシな物を食わせてやりたかったという思いもある。もっとも、大金持ちな彼女を満足させられるような店なんて知らないのだが。

そんなこちらの内心に呼応するかのように、

「桐山様にお任せしたところで、どうせファミレスが精々だったのでしょう? お嬢様が楽しそうで良かったではないですか」

安くつきますし、と背後から毒混じりな呟きが聞こえてきて――、

「桐山様が恥を晒さずに済んでようございました」
「…………」

間髪をいれずに追い毒された。

「……さ、俺も注文に行くか」
「では私も」

呟き、何事もなかったかのようにカウンターへ進む壮士に、毒さん(暫定呼称)が付いて来る。

「わたし、えびフィレオが好きなんです」
「…………」

セリフの内容もさることながら、それを奏でる声も愛らしい。けれど、すんごい冷めた目で見られている気がする。あと、毒さんの好みなんて聞いていない。

「今は物珍しさに喜んでいますが見ていて下さい。ファストフードなんて口に合うはずがないんですから。お嬢様は社交辞令がお上手ですからね。上っ面の言葉に騙されてはいけませんよ」

ついには琴子にまで毒づき始めた毒さん。
壮士は少しの驚きとそれ以上の不可解さを覚えつつ、ぐるりと首を巡らせて、

「ずっと思ってたんだけどさ」
「なんでしょうか」

琴子に後部座背を勧めたのには理由がある。連れがいたからだ。
琴子が助手席に陣取ったせいで、この少女はひとり後部座に座ることになってしまった。

無感情にこちらを見つめ返す名も知らぬ彼女は、玄関の扉を開けた瞬間からつい先程まで、一言も発さず、表情を変えず、背後霊のように貼り付いてきていた。

紹介してくれるのをずっと待っていたのに、琴子もこの子もぜんぜん話してくれない。
ならばこちらから聞くしかないだろう。そろそろ我慢の限界だ。

「きみ、誰なの?」

◆◇◆

それから暫くして、つつがなく注文を終えた三人はテーブル席に陣取っていた。
壮士の正面に琴子、琴子の隣に毒さん。毒さんの名前は未だ不明である。

「それではいただきます」

控え目に手を鳴らし、上品な所作でフィレオフィッシュを口に運ぶ琴子。
ニコニコと微笑む彼女を、壮士は苦笑い気味に眺めつつ横目で毒さんを伺う――と、驚くべきことに、毒さんは既にえびフィレオをはむはむしていた。ちなみに表情はまっ平ら。ちっとも美味しそうではない。

本当にこの子は誰なんだ、と思う壮士である。
切れ長の目は鋭く、琴子に負けず劣らずの美しい黒髪は肩上に切り揃えたミディアムショート。唇は薄く、鼻は少し低め。身長は琴子より頭半分高いぐらいだろうか。
あまり変化しない表情も相まって全体的に平坦な印象を覚えるが、顔立ちは整っている。典型的な和風美少女と言えよう。
無表情にえびフィレオをぱくつく様が、容姿と良いコントラストになっていて、妙に微笑ましく思ってしまう。

ともあれ、琴子は名家の令嬢だ。きっとお付きか何かに違いないとアタリをつけていたのだが、それにしては主人を差し置いて飯を食うのは合点がいかない。

そんなことを考えていると、ふいに毒さんと目が合った。
はむはむしながら毒さんが訴えている。お嬢様を見ろと。

「思っていたよりずっと美味しいです。ありがとうございます、お兄様」

満面の笑みでそう言ってくれた琴子だが、壮士は見逃さなかった。
刹那、眉間にシワを寄せた彼女の気持ちを代弁するなら「なにこれ、パッサパサ」だろうか。

もう一度毒さんに目を向けると、やっぱりはむはむしながら少しだけドヤった顔をしていた。

「なんだこれ」

寸劇か何かを見せられているような気分になって、壮士は深々と溜息ひとつ。
そうこうしている間に、毒さんはジト目で琴子を見て、

「美味しくないなら美味しくないと素直に言ったほうがいいですよ」
「馬鹿なことを。せっかくお兄様がご馳走して下さったのに失礼ではありませんか」

即答した琴子は、どうやら美味しくなかったことは認めるらしい。
一度取り繕ったなら最後まで貫いて欲しかった。というより、ファストフードを選んだのは琴子であって壮士ではない。なのに美味しくないとか、この腹黒ほんとうに無礼である。

がっかり感と、いくばくかの苛立ちを募らせ始めた壮士を尻目に、琴子と毒さんの問答は続く。

「お嬢様は分かっておられませんね」
「わたくしが? 分かっていない?」
「ええ。分かっておられません。桐山様の妹になりたいなら、素直な気持ちを伝えるべきです」
「私もそうは思いますが、それとこれとは別でしょう? お兄様のご厚意に難癖をつけるなど礼に失します。親しき仲にも礼儀ありですよ」
「いいえ、お嬢様。兄妹の間だからこそ遠慮は無用なのです。ありのままの姿をお見せしてこそ、情が芽生えるというものです」
「兄妹だからこそ、ですか……。なんだかいい響きですね」
「お嬢様は人の心を読む能力に長けた方です。利害や形式で人付き合いを図るのは正道ではありますが、ご兄妹のそれは理屈で臨むべきものではありません」
「言われてみれば確かに。お兄様の心証を害さぬことばかりにかまけていた気がします」
「そういうことです。飾らないお嬢様を知っていただき、お心を通い合わせてこその兄妹です」
「なるほど、一理ありますね……」

神妙な顔で二度三度頷いた琴子に、毒さんは呆れの溜息を返して、

「まったく、これだから八方美人は困ります」
「そんな言い方ないでしょう? 私なりにお兄様に気に入っていただこうと努力しているのですよ?」
「まあそれはそれとして。ポテトのほうはいかがですか? ジャンクな感じで私は好きですけど」
「そうですね……、これも油っぽくてあまり……」

言って、琴子がしょんぼりしながらポテトを戻した瞬間、毒さんの目が輝いた。
毒さんは、何かを堪えるように肩を小刻みに震わせながら琴子の顔を覗き込み、

「美味しくないですか?」
「ええ、美味しくないですね」
「であれば、お嬢様」
「お兄様、このポテトもあまり美味しくないです……」

このクソガキども、おちょくっているのか。

「てめえらぶち殺すぞ」

即座に頂点へと達した苛立ちに、ビキビキと青筋を立てる壮士。
こちとら一馬ほど紳士ではないし、気も長くない。
ムカつくガキどもを懲らしめることに、躊躇いはしないのだ。

「無礼なガキどもが。琴子、俺はお前を妹とは認めない」
「そんな……」

何事にも動じないはずの琴子が、その端正な顔立ちにありありと絶望を映して毒さんの腕を引っ張る。

「奈津っ、たいへんですっ。お兄様が怒ってしまわれました!」
「お嬢様はチョロいですね、怒るに決まってるじゃないですか。えび美味しい……」

慌てる琴子は元より、指ポキする壮士もなんのその。
奈津と呼ばれた少女は変わらずえびフィレオをぐまぐましたのだった。

閑話休題。

「……で、琴子ちゃん。いい加減、この毒舌娘が誰なのか教えてくれないか」

くるくるとポテトを回しながら壮士が毒さんを指し示すと、なぜか琴子は眉をハの字に曲げて、

「その前にお兄様? そのよそよそしい言葉遣いをやめていただけないでしょうか」
「よそよそしい?」
「はい。私のことは琴子とお呼び捨てください。あと、丁寧な言葉遣いも不要です。私達は命を預け合うパートナーとなるのですから」

琴子の言い分は至極もっともだ。
壮士はポテトを口に放り込みながら肩をすくめて、

「じゃあ、そうさせてもらうよ。ぶっちゃけこういうのあんまり得意じゃないんだ」
「そんな気がしていました。一馬様も二日と経たずに素になられましたからね」
「俺と違って兄貴のアレは結構筋金入りなんだけど……、まあいいや」

壮士が「話を戻そう」と顎をしゃくったの受けて、琴子は隣に目配せ。
我関せずとばかりにシェイクを飲んでいた毒さんは、相も変わらず無感情な瞳をこちらに向けて、

「申し遅れました。琴子お嬢様の姉の綾部奈津《あやべなつ》と申します」
「名字違うじゃねえか……」

とりあえずそう突っ込んでみた壮士だが、奈津のセリフは突っ込みどころ満載だ。
円成寺と綾部。名字が異なる上、妹を「お嬢様」と呼ぶ姉など見たことがない。仮に奈津が琴子を仰ぐ立場であるなら毒を吐くのはどういう了見だ。主人を差し置いて先に飯を喰らう従者も見たことがない。無論、従者なんていう職業に就いている人に出会ったことすらないのだが。

それはそれとして。

「てか俺、ずっと紹介してくれるの待ってたんだけど」
「それはですね、お兄様。戸惑っておられる姿が面白かったからです」

何の事はない。紹介してくれなかったのは、ただのイタズラだった。

「ちなみに私がお嬢様に提案しました」
「オーケー、分かった。お前らやっぱ俺を舐めてんだな? そうなんだな?」

年下の女の子二人に、本気のガンをつける24歳サラリーマン。
対する琴子と奈津は臆するどころか、むしろ愉しげに肩を寄せ合って、

「桐山様はからかいがいのある方ですね、お嬢様」
「ふふ、そんな言いかた失礼ですよ」

柳に風。のれんに腕押し。
体よくあしらわれている自分が馬鹿らしくなり、壮士は抜けるような溜息をついて、

「それで、なんで綾部ちゃんは琴子の姉ちゃんなのにお嬢……、いや、琴子は一人っ子だったよな?」
「ええ、私の兄妹はお兄様一人だけです」
「俺は認めていない」
「そんな……」
「ちっとも話が進まないじゃないか。落ち込んでないで説明しろ、説明」

憔悴した顔でふるふると首を振る琴子に見切りをつけ、壮士は奈津に目を向ける。と、奈津はいかにも残念そうな視線で琴子を眺めつつ、

「それでは私からご説明します」

奈津が話し始める。

綾部奈津は円成寺の分家筋の出身で、琴子とは遠縁の親戚となるらしい。年齢は琴子のひとつ上、心と同い年だ。
奈津は幼少の頃より円成寺の本宅で育った。将来、円成寺の当主となる琴子を補佐する役目を負っていたからだ。
もっとも、幼い頃の彼女らにそんな自覚はなく、琴子の母親である椿も奈津を実の娘のように扱っていたこともあって、二人は姉妹のような関係でいたらしい。

琴子を呼び捨てにして、よく可愛がった奈津。奈津をお姉様と呼び、よく慕っていた琴子。
仲睦まじい二人の関係が変わったのは数年前のことだ。
ある日を境に椿は二人に命じた。奈津には『以後、琴子を主人と仰ぐように』、琴子には『以後、奈津を従者として扱うように』と。

そこまで話したところで、奈津は一度言葉を切って、

「折に触れて、奥様は意図的にお嬢様の精神に負荷をかけることをなさいます。私のこともその一環です」
「……仲良くなった後に引き離す、か。なんでまたそんな酷いことを」
「いつ何時も冷静に物事を判断できるよう精神を鍛える為です」
「そういうことか。確かにあの人ならやりかねないな」

そんな掛け合いを交わしている間に、どうやら琴子はショックから立ち直ったようで、

「奈津のことだけでなく、そうしたお母様の教育方針のお陰で、これまで私はたくさん辛い思いをしてきました。疑問に思ったことも幾度もあります。反面、感謝もしています」

琴子のそれは、神様のゲームを生き残れたのは椿の教育があったからこそ、という意味だろう。
事実、琴子のアイデンティティを作り上げたのは椿に他ならない。

「話を戻しましょう。お母様のことはともかく――」

奈津の後を引き継ぎ、琴子が語りを再開させる。

椿の失踪を経て、琴子は事実上の円成寺の当主となった。
抑圧される日々から解放されて、琴子はふと思ったらしい。奈津と昔のような関係に戻れないかと。
一週間前、琴子は意を決して想いを奈津に告げたようだが、

「見てる限り、断られたようには見えないけど?」
「ええ……、戸惑いながらも奈津は受け容れてくれたのですが」

琴子の側はともかく、長年従者として付き従ってきた奈津としては、そんな直ぐに気安く接しろと言われても難しいようで。

奈津が食べ終わった包装紙を畳みながら言う。

「そういう訳で現在矯正中です。勿論、気安くするのはプライベートな時間に限ってですが」
「ようするに、琴子との距離感が今ひとつ掴めないから、若干毒を吐く始末になってるってことか?」
「それは違います。長年お嬢様に抑圧された結果です」
「えぇ……」

それはもうなんというか、琴子のことがムカつくということじゃなかろうか。
当然、壮士が想像できる程度のことなど、琴子が分からないはずがない訳で。

「ご心配なく。こういう奈津も私は気に入っていますから」

あけすけにモノを言ってくれるのが好ましいのか。琴子は真実嬉しそうだ。
壮士としても、当人達が納得しているなら言うことはない。

しかし、だ。

「それは分かった。けどなんで俺にまでアタリが強いんだよ。綾部ちゃんとはこれが初対面だぞ?」

ごくごく軽い調子で告げた壮士の言葉に、一貫して凪であった奈津の表情が鬼の形相に変わる。

「っ……、厚顔にもほどがある」

壮士は唖然とした顔で固まり、そして考えるまでもなく、彼女の内で燃え上がる感情を察した。
馬鹿でも分かる。奈津がこちらに向ける感情は、殺意にも似た憤怒だ。

「大切な妹を死地に誘う輩を尊重しろと? 貴方はどれだけ面の皮が厚いのですか?」

琴子を死地に誘う輩。つまり奈津は知っているのだ。神様のゲームと悪魔のゲームを。
いいや、知っているだけではない。彼女はこの浮き世離れした話を真実と確信している。

直後、琴子から答えが示された。

「悪魔に会わせました」

壮士の頭のなかに、二つの言葉がリフレインする。

――暫く考えさせてください。
――やはり嬢は聡い。壮士殿は素晴らしいお味方を手に入れられましたな。

「そうか、そういうことか……。だからあの時お前は契約を“保留”したんだな……」

実のところ、今日という日は琴子に一馬の真実を告げた当日ではない。
あれから一週間が経っている。

壮士はようやく悟った。
琴子と出会ったその瞬間から、壮士は彼女に欺かれていたのだ。

琴子が悪魔と契約するに至る経緯を語ることにしよう。

クロ

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