断章 001.運命を分かつ一日(上)

前書き

奈津がメインのサイドストーリー的な位置づけのお話です。
時系列的には悪魔の章10話~11話で起こった出来事になります。


できるメイドさんの朝は早い。

「ふあ……」

円成寺に仕える侍女兼、琴子の姉である綾部奈津はちいさなあくびを噛み殺しながら廊下を進む。
時間は午前6時前。赤道にほど近いグアムは日照時間が長く、日の出も早い。太陽さんがまだ本気を出していない早朝は、一日のなかでもっとも過ごしやすい時間帯だ。
柔らかな陽光と、ほのかに緑が香る潮風。こんなロケーションのなかでランニングするのはさぞ気分が良いだろう。具体的には、琴子と壮士が。
一方、できるメイドさんの気分はぜんぜん良くなかった。

「ねむい……」

もうちょっとお布団にくるまっていたかった奈津である。
円成寺に仕えて幾年月。朝が早いのは今に始まったことでなし、早起き自体は苦ではない。しかしグアムに来てから二ヶ月近く経った今、すっかり早起きが苦手になってしまっていた。
原因はハッキリしている。日本とグアムを頻繁に行き来しているせいだ。
両国の時差は一時間ほどしかないが、その微妙な差が体内時計を狂わせている。
日本に帰って少し狂い、慣れた頃にグアムに戻る。そんなサイクルがボディーブローのように効いていた。
さらにはグアムに戻ったのは昨晩ときているのだから、いかにできるメイドさんといえど、ちょっとしんどいタイミングなのだ。

そんなこんなで若干ぽわぽわしつつ、奈津は琴子の部屋の前に到着。

「おはようございます」

控えめに声かけだけして、部屋に侵入するメイドさん。
本宅であれば間違いなくノックしている場面だが、その必要がないことはよく判っている。

「ふぅ……、すぅ……」

穏やかな寝息を立てる琴子を見て、この子もスッカリ朝が弱くなってしまったなと奈津は実感。
ここへ来る前の――いいや、正確には神様のゲームを経験する前の琴子は、平日であろうが休日であろうが、毎朝同じ時間に目を覚ます子だった。
目覚まし時計なしでそうなのだから、もう習慣と言ってしまっていいかもしれない。
誰かにそうしろと言われたわけではない。あるとき椿から「習慣が人格を造る」という話を聞き、琴子が自分からそうするようになったのだ。
そんな琴子の習慣が崩れたのは、毎日クタクタになるまで身体を虐めているからなのだが、

「だらしないなあ」

自然、奈津は口元を緩ませる。
お寝坊さんは良くない。だが、こんな些細な変化もこの子が変わった証だ。
琴子は日々変化している。一馬や心たちと出会い、壮士と共に暮らし、奈津と姉妹っぽく接することで、誤解を恐れずに言えば人間臭くなった。
以前はどこか機械じみていて、表面的な笑顔しか見せなかったこの子が、泣き、笑い、怒り、ときには拗ねたり甘えたりするというのだから、奈津にすれば別人かと見紛うような変わりようだ。
その変化を、奈津は好意的に受け止めている。
もちろん変わったことで余計な苦労をさせられることだってあるけれど、きっと今の琴子の方が幸せな人生を歩めると思う。ただ損得と欲だけの為に生きる、椿のような人にはなってほしくなかったから。

そんな感慨を覚えていたところ、不意に奈津の顔が不快げに歪んだ。

「チッ……」

無意識に舌打ちするメイドさん。
眼下で乳が。バカでかい乳袋が上下していた。

「なに食べたらこんな……」

いや、なに食ってるのか知っているけれど。というか、今までムカついたことなんてなかったけれど。壮士に「ちっぱいお姉ちゃん」言われてからというもの、このバカでかい乳が目障りで仕方ない。
そもそも奈津はちっぱくない。普通だ。ちゃんとCカップある。形だって綺麗なものだ。そこらに転がってるおっぱいと比べても、そこそこいいおっぱいだと自認している。

しかし、しかしである。

「むぅ……」

琴子のおっぱいが素晴らしいことは認めざるを得ない。
おっきいし、乳首は桜色だし、もみ心地もぷにぷにだし、デカイくせに感度もいい。
最高だ。最高おっぱいだ。だがそれ故に目障りだ。

「生意気な」

割合、マンガなどの分野もイケる口な奈津は承知していた。
かの有名な兄も言っている。「兄より優れた弟などいない」と。お姉ちゃんより優れたおっぱい持ってるなんて許せない。なんとも小癪な妹である。
それもこれも壮士のせいだ。今までおっぱいにコンプレックスなんてなかったのに、奴がちっぱい言うから、琴子の乳が揺れる度にイラッとするようになってしまったのだ。
もっともその苛立ちは、琴子との距離感が元通りになってきた証のようなものだけれど。

「んっ……」
「くっ……! やっぱり……!」

揉んだらやっぱり最高おっぱいだった。
シルクのパジャマ越しに伝わる肉感は、まさにつきたてのお餅のような柔らかさ。ただやんわりと触っているだけなのに、人としての本能的な何かが満たされていく感じがする。
このおっぱいは海だ。生命の海である。
と、

「……あなたは一体何をしているの?」

ジト目をした琴子と目が合った。
どうやらこちらが悔しさを噛み締めている内に起きてしまったらしい。

「なにって」

言って、奈津は両腕を水平に持ち上げると、コンパスの針のようにその場でクルリと一回転。それから両手を腹の前で組み、45度に腰を折って、

「もちろん琴子お嬢様を起こしに参りました。おはようございます」
「起こすのに胸を揉む必要がありますか?」

ジト目のまま身体を起こした琴子に対し、奈津は深い失望のため息を返す。

「零点です」
「れいてん? なんです急に……」
「今のとこ、壮君だったら『なんで回った? もしかしてお姉ちゃんモードからメイドさんモードへの変身ポーズなの?』みたいなツッコミをしていたところです。お嬢様はユーモアのセンスがゼロですね」
「え――っ……」
「ぜんぜんダメです。才能ないです。きっと一馬様にもつまらない女だと思われるでしょうね」
「どうして寝起きにそこまで言われないといけないの……?」

しょんぼりする琴子。
どうしてかなんて決まっている。お姉ちゃんより優れたおっぱいしてるからだ。
琴子は「まあ、なんでもいいですけど」と苦笑いして、

「もう一度変身してください」
「? お姉ちゃんモードをご所望ですか?」
「所望します」

主人に求められては否やはない。
仕方ないですね、と奈津はスカートをふわりと浮かせて一回転。

「なあに?」
「普通に起こしてください」
「琴子がお寝坊さんなのが悪いんでしょう?」
「だからって胸を揉まなくても……」
「え、なに? もしかして私にまでアレ言うつもり?」
「アレとは?」
「私のすべては一馬様のものーってやつ。身持ちが固いのはいいことだけど、お姉ちゃんにまで言うの、流石にどうかと思うよ?」
「違います」

琴子はクスクスと笑って、ちょいちょいと手招き。奈津が首をひねりながら顔を近づけると、妹はこちらのほっぺをぐにーっと引っ張り、

「イタズラするのはお兄様だけにしてくださいと言っているだけです」
「なによー、ちょっほおっぱい触っただけじゃなひ」

奈津はお返しに、琴子の頬を手で掴んでアヒル口にしてやる。
琴子はフニャフニャと唇を動かしながら「でも」と微笑んで、

「そういうところも“らしさ”が戻ってきている感じがしますけれど」
「失礼ね。昔の私がイタズラばっかりしてたみたいに言わないで」
「実際していたではないですか。小さな頃のお姉様はおてんばで、お母様や加代さんによく叱られていましたもの」
「む、そうかもしれない」
「けれど、私にはとっても優しくしてくださいました」
「今でも琴子には優しくしてるよ?」

はい、と琴子は嬉しそうにはにかみ、けれど直ぐに不敵な笑みを作って、

「あとは、その死んだ魚のような目が直れば完璧なのですが」
「あなたもその減らず口を直しなさいっ」

言って、琴子の脇をくすぐりにかかる奈津。
そうして暫くの間、きゃいきゃいと姉妹でじゃれ合ったのち、

「おっと、こんなことしてる場合じゃない。壮君おこさないと」

奈津はクルリと回って、再度できるメイドさんに変身。
余談だが対壮士だけに限って、なっちゃんモードというのもある。

「……いちいち変身する必要ありますか?」
「あります。オンとオフは大切ですからね」

おかしなお姉様、と琴子は呆れ混じりに笑う。

「そうそう、奈津からもお兄様に言ってください。夜な夜な出歩くのは控えるようにと。私が何度いっても聞いてくれないのです」
「壮君、すっかりマイヤーズ様と仲良しですね」
「仲良しなのは良いことですが、……どうも最近怪しい気配がします」
「女、ですか?」

ええ、と琴子は眉をひそめながら首肯。
昨晩帰った時に壮士が居なかったのはそういうことか、と得心するメイドさんだった。
人がせっかく気を利かせて、いっぱいオナホを買い与えてやっているというのに、とんでもないエロ壮君野郎である。

「畏まりました。私からも注意しておきます」
「……念のために言っておきますが、注意ですからね? 脅しては駄目ですよ?」
「信用ないですね」
「奈津は隙きあらばお兄様にイタズラしますからね。甘えるのも結構ですが、もう少しお兄様を大切にしてください」
「……別に甘えてないし。甘えてるのは琴子でしょう?」
「あら、変身していないのにお姉様モードが……」
「ウルサイ」

奈津はしたり顔な琴子に舌打ちして、部屋を後にした。

◆◇◆

壮士の部屋に向かう道すがら、できるメイドさんの機嫌はさらに悪くなっていた。

「まったく、まったくあの子は」

嘆かわしいことこの上ない。
お姉様、お姉様、と奈津の後ろをついて回っていたあの頃は可愛さ100%だのに、今や年を経る度に琴子の性格は悪くなる一方だ。
円成寺に毒されてしまっている。
あと、おっぱいも最高だし。挙句、愛する人を取り戻す戦いに挑むというのだから、どこの映画のヒロインなんだとツッコミたくもなる。

「私がどれだけ心配してるか――。……でも、羨ましい」

思わずそう独りごちたところで、目的地に到着。
奈津は暗くなっていた表情を能面に変えて、両腕を水平に持ち上げた。

「とぅ」

変身ヒーローであれば、確実に落第とされるであろう気の抜けた掛け声と共に一回転。
これで対壮士限定のなっちゃんモードに変身完了。オンとオフは大切なのだ。

「おはようございます」

当然ノックなんてせずに、壮士の部屋に潜入する奈津。

「ふぅ……、すぅ……」
「ふふ」

グースカ寝ている壮士を見下ろし、できるメイドさんは不敵な笑みを浮かべる。
こちとら現在機嫌がよろしくない。眠たいのも、妹が小癪なのも、最高おっぱいなのも、壮士のせいではないけれど、ストレスは解消しなくてはならない。
なぜなら奈津はできるメイドさんだからだ。気持ちがささくれ立っていては良い仕事ができないだろう。できるメイドさんの名折れだ。
なので、

「しゃきーん」

取り出したるは、フェルトペンにおいて圧倒的なシェアを誇る国民的文房具、その名もマッ○ー。
色はもちろん黒。奈津は壮士の前髪をかき上げて、サラサラと文字を書いて行く――と、

「……おい、なにしてんだ」
「おはようございます」

言って、○ッキーを後ろ手に隠す奈津。
その流れるような動きを、壮士は見逃さなかった。

「ちょ、おまっ……!」

壮士は眉間にシワを刻みつつ、顔中を手で擦って手の平を確かめた。が、手は汚れていない。国民的文具は油性マジックだからだ。

「こんの駄メイド! ふざけるなよッ!」
「やっぱり壮君は才能あります。リアクションが最高です」

ガバリと身体を起こした壮士に、満足気な頷きを返す奈津。

「ぜんぜん嬉しくねえよッ!」

叫び、壮士が洗面所に駆け込む。ちなみにこの別荘には各部屋に浴室が設置されている。とてもお金がかかっているのだ。
ともあれ、数秒と経たずに「あー!」という壮士の悲痛な叫びが聞こえた。

「お前まじふざけんな!“カルピ”ってなんだよ、カルピって! どうせならちゃんと“カルビ”って書けや!」
「そう、くん……」

瞬間、奈津はあまりの衝撃に肩を震わせた。が、顔はいつも通りなのっぺら坊のまま、ゆっくりと右手を持ち上げ、壮士に向かってサムズアップし、

「流石は壮君です。ツッコミがキレッキレですね。それ、カルビじゃなくてカ○ピスの書きかけなんですよ」
「カル○スッッ!」

叫び、タオルを床に叩きつける壮士である。

「なんでカ○ピスなんだよ!」
「飲みたかったからです」
「違うよ! そうじゃねえよ! なんで俺のデコにカルピス書くんだよ!」
「だって、イタズラするのは壮君だけにしろって、お嬢様が言うから……」
「琴子ぉッッ!」

青筋を立てて、部屋を飛び出して行く壮士。
余談だが――。

「あはははは!」
「笑うな!」

珍しくも琴子が爆笑してくれたので、できるメイドさん的には大満足だった。

クロ

クロ

自作小説を投稿しています。成年向けの内容を含みますので18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。
ノクターンノベルズにて「神様のゲーム」連載中です。 ゲーム版の公式サイトはこちら