断章 002.運命を分かつ一日(下)

午前に入ってからも、できるメイドさんは忙しない。

ランニングから戻った壮士にエサ(朝ごはん)を与え、早くもヘロヘロになっている琴子の着替えを手伝い、奈津は二人をロバートの元に送り出す。
そこまで終えて、やっと朝ごはんにありつける。
今日のメニューは大好きなシュリンプをメインに、トースト、サラダという構成。えびのぷりぷり感を堪能しつつ、当日の予定をスマホでチェック。暫しのあいだ休憩時間を挟み、奈津はスタッフ専用の広間へ向かった。
奈津の本職はあくまでもメイドさんである。なので琴子や壮士のように、人殺しの練習ばかりにかまけていられないのだ。
といっても、奈津は琴子専任の侍女なので、清掃業務などがメインの仕事ではない。もちろん琴子の身の回りの世話はするが、清掃や警備等、業務ごとに専門スタッフが割り当てられている。
奈津の主たる業務は、琴子付きであるが故の専門業務。内容は多岐にわたるが、それらのほとんどは人と人との橋渡しだ。
琴子の指示や意向をスタッフに降ろし、進捗と結果を吸い上げ、琴子へフィードバック。その逆も然りで、スタッフからの提起提案を琴子に上げる。時には奈津自身が外部内部問わず、企業に出向いて折衝したりもする。まあ、身も蓋もない言い方をすれば何でも屋である。

そんな奈津がこれから参加するのは、別荘付きの部門責任者で行う定例会議だ。
全員が揃ったことを確認し、別荘付きスタッフの責任者――五十代男性のベテランスタッフが立ち上がった。

「皆さん、おはようございます。早速ですが、まずは警備部門から報告を」
「はい。来週予定している人員の入れ替えについて――」

それを皮切りに、いつも通りの会議が始まる。

実のところ、部門責任者会議に出席している割に、円成寺内部に於ける奈津の地位はさほど高くはない。相当数の上役が居る。
無論、奈津は現当主である琴子の専任侍女。軽んじられはしないし、少なからず発言力だってある。しかし、それらはどちらかと言うと、当主付きという肩書よりも、重ねたキャリアの長さに加え、『綾部の家の者』であることが大きい。
奈津はまだ十代だ。社会的には子供に過ぎないが、一桁の年の頃から円成寺に仕えている。キャリアで言えば、就業から十年余を数える中堅クラスだ。将来の当主補佐ということを見越し、椿からも相応の教育が施されている。
そして、

「では次に加代様からの連絡事項を――」

綾部加代。前当主である円成寺椿付きの侍女だ。もっとも彼女の場合、侍女というより秘書と呼ぶべきだろう。
椿より一回り上の48歳となる彼女は、奈津同様、椿が幼い頃から付き従い、椿が当主となってからは最も信頼の厚い秘書として椿を支えてきた人物だ。
椿の失踪以降、加代が円成寺の内々を取り仕切っている。琴子の次席となる人であり、そして名字から判る通り、綾部加代は奈津の身内、父親の妹、即ち叔母である。
琴子にとっても、奈津にとっても、加代は非常に距離感の近い人だ。特に奈津なんかは、幼い頃から円成寺の本宅で過ごす時間が長かったこともあり、もう一人の母親と呼んで差し支えない人であると言える。
事実、

『失礼ね。昔の私がイタズラばっかりしてたみたいに言わないで』
『実際していたではないですか。小さな頃のお姉様はおてんばで、お母様や加代さんによく叱られていましたもの』

今朝がた琴子が口にしたように、小さな頃は加代によく叱られたものだ。

今から約三ヶ月前。円成寺に激震が走った。
その震源は言うまでもなく椿の失踪だ。分家、グループ企業の動揺もさることながら、円成寺の直系内部の足元も揺らいだ。
しかしながら、最も早く動揺から立ち直ったのも直系内部だった。
これは次期当主である琴子の力による部分も大きいが、それ以上に大きかったのは、外部への椿の手回しの良さに加え、内部を統率した加代の働きを抜きに語れない。
さらに言えば、円成寺直系の組織構造が功を奏したと言えるだろう。
円成寺は当代が八代目となる古い家だ。それだけ古いと、女系であること以外にも様々な慣習が生まれる。その内の一つに組織構造が挙げられる。
たとえば『綾部』の家。綾部は代々直系当主の補佐を生業としてきた。故に、加代は椿の補佐を努め、奈津は琴子の補佐を努めている。奈津の父は直系、それも中核企業の社長であり、年の離れた奈津の兄はその会社の役員を努めている。
綾部の他にも、直系企業を運営する家、役員を担う家、はたまた大西家のような庭師の家柄まで、円成寺を支える役目を代々引き継いでいる家が多数ある。
もっとも、こういった前時代的な組織構造は時の流れと共に薄まってきている。世襲は強い忠誠心と団結力を育むが、一方で利権の温床となり、腐敗や怠惰、成長の妨げとなり得る。
椿はこうした古い慣習を嫌ってはいたが、相応の利点があることも承知していた。
故に彼女は世襲のすべてを切り捨てるのではなく、残す部分は残し、切り捨てる家についても外部から資本を入れさせたり、個人の首切りなどに留めることで、組織の一定部分を能力主義かつ資本的な繋がりにソフトランディングさせていた。
そういう組織体なこともあり、直系内部は椿の失踪で大きく動揺したが、立ち直りも早かった。直系に仕える家々は、椿個人ではなく円成寺家に仕えているという意識が強いからである。
そして次代の当主である琴子は、未だその実権は限定的であるものの、彼らを落ち着かせるだけの能力を示していた。

一方、外部はその限りではない。

「では最後に、桜時《おうじ》製鉄の三割について。奈津」

はい、と答え、奈津が立ち上がる。

「桜時製鉄の第三者割当増資について報告します。嘉斎《かさい》様のお力添えを受け、手続き、及び役員の切り崩しは順調に進んでいます。
琴子様と嘉斎の取り決めどおり、新株の六割を円成寺が、残りの四割を嘉斎家に引き受けていただくことになっています。仕掛ける時期は、来週、私が嘉斎様と面談して調整する予定になっています」
「加代様には?」
「昨日、こちらに戻る前に直接報告しました。琴子様にも昨晩の内に報告済みです」
「結構」

外部に於ける、琴子の足元は盤石とはいえない。
椿の支配が強かったが故に、琴子を侮るか、試そうとする輩は存在する。それらはグルーブのさらに外の一般企業、若しくはグループ内の半身内、つまり分家筋だ。
円成寺には数代前に血を分けた四つの分家が存在する。
嘉斎《かさい》、大嶺《おおみね》、高柳《たかやなぎ》、上郷《かみのごう》。これら分家は円成寺の親戚であり、建前上主従関係はないのだが、実際は円成寺が資本で彼らを支配している。具体的には株と真水(資金)でだ。
数代前、肥大した本家の事業を当主の兄妹、あるいは親戚など手伝わせた――という成り立ちなのだから、本家が頭を抑えているのは当然なのだが、時を重ねるに連れ、独立独歩の気風も生まれてくる。
無論、その気風の強弱も分家によって様々だ。そんな分家のなかにあり、嘉斎家は円成寺に忠節を貫いている。というのも嘉斎家現当主の娘に、椿の唯一の姉弟である弟が入婿として入っているからだ。
この弟、即ち琴子の叔父にあたる人物は、一言で言えば官僚的な人であり、椿のような野心家ではない。性格は穏やかで、決して人当たりも悪くない人なのだが、よほど嫌な思いをしてきたのか、何故か椿と関わりを持とうとしない。結果、姪である琴子とも疎遠だ。
そうなった経緯については、奈津も預かり知らぬことだが、少なくとも奈津の印象は『椿の言いなりの人』という感じで良くない。
ともあれ、そういった繋がりもあって、外部勢力に対しては、嘉斎家が琴子を強力にバックアップしている。
先ほど奈津が報告した第三者割当増資というのは、『高柳家』が持つ企業『桜時製鉄』がきな臭い動き――具体的には、外資から資金供給を受け、円成寺の持ち株比率を落とそうとする動きを見せおり、これを受け、琴子と嘉斎の当主が談合し、“丁度いい案件だ、躾けておくか”ということになった。
ようは『円成寺を舐めたら痛い目に遭うぞ』という威嚇行為、ないし見せしめである。

といった感じで、琴子の足元は盤石ではない。
ともすれば、壮士の目には映りづらいのかもしれないが、奈津のご主人様は、人殺しの練習で毎日クタクタになる裏で、よく働いている。
きっと琴子は当主としての責任を重く受け止めているのだろう。じっさい琴子の双肩に何千・何万もの人の生活が懸かっているのだ。

(ただ……)

ただ、と奈津は思う。

琴子は働くことに疑問を覚えていない。責任を負うことに疑問を抱いていないと思う。
望む望まないに関わらず、置かれた立場に応じた責任を果たさねばならない。それが琴子の価値観であり、刷り込まれた考え方だから。
事実、あの子は何も知らないアーニャに対し、百合子の死という責任を押し付けた。
琴子のそれは、ある一面で正しいのかもしれないけれど、アーニャには酷な話だったと思う。それでもアーニャは責任を受け止め、彼女なりに努力を尽くした。だから、琴子の価値観は正しかったのかもしれない。

ただ、と奈津は思う。

琴子が働けば働くほど、奈津の仕事も増えていく。それはいい。不満を覚えたことなんて一度もないし、彼女を支えることは役目であり、奈津自身の願いでもある。
椿が死に、琴子が円成寺の当主になった。
ハッキリ言って満足している。奈津はずっと、あの女が居なくなる日を焦がれてきたから。琴子がトップに立ち、椿の支配から抜け出せる日を一日千秋の思いで夢見てきたのだ。
なんならついでに、加代も事故か何かで死んでくれないだろうか。
琴子は加代の悪辣《あくらつ》さを理解していない。理解していないから、多少なりとも彼女に信頼を置き、一定部分、家を任せている。
笑わせる。なにが叔母だ。なにが姪だ。奈津に言わせればあの女は椿と同類、人として最低な外道だ。だけどその無知は琴子の罪ではない。どれだけ洞察力に優れていようと、知らない事は知らない。椿たちがこれまで何をしてきたのか、すべてを知っているわけじゃない。あの子はエスパーじゃないのだから。

それでもやはり、ただ、と奈津は思った。

本当にこれでいいのだろうか。
満足はしているのだ。椿が居なくなり、加代にしたって数年の内にどうでもいい存在になるだろう。琴子が悪魔のゲームで生き残ってさえくれれば、夢見てきた幸せが約束される。
まだぎこちないけれど、暫くすれば琴子と昔のような関係に戻れると思う。
想像してきたなかで、ほとんど満点に近い幸せじゃないか。

(でも、わたしは……)

瞬間、彼と彼女の笑顔がよぎった。
灰色に支配された世界のなか、最後に二人がくれたセリフが重くのしかかる。

――ありがとう。奈津のおかげで生き残れた。どうか幸せになってくれ。
――ごめんね、奈津ちゃん。いつかまた会えるって信じてる。大好きよ。

二度と逢うことのない二人。命の恩人である二人。生まれて初めて真実心を通わせた二人。寛人《ひろと》と葵依《あおい》は奈津の幸せを心から願ってくれた。
そして今、奈津がこれまで描いてきた幸せが直ぐそこにある。
でもこれは、こんな幸せが、二人が願ってくれた幸せなのだろうか。

奈津は誰にも届かない小さな声で呟いた。

「ことこ……」

琴子が居なくなるなんて嫌だ。ついでに、本当にただのついでだけど、壮士が死ぬなんて嫌だ。二人には絶対に勝ってもらわなければならない。けれどあの子が勝てば、椿は生き返ってしまう。
そんな未来を、奈津は全身全霊で拒絶する。あの女が生き返れば地獄に逆戻りだ。
しかし奈津はどれだけ止めたくとも、戦いに赴く二人を止められはしない。
どうして止められようか。奈津と違い、琴子はまがい物ではない本物の幸せを得る為に、命を賭けて戦おうとしている。

ただ――。

(琴子……。私たち本当にこれでいいのかな……?)

◆◇◆

午後に入ってからも、できるメイドさんはそこそこがんばって働いた。

壮士に本日二度目のエサ(お昼ごはん)を与え、疲れのあまりレイプ目になっている琴子を介抱し、お師匠様の訓練にも参加した。
少々モヤっとしていたこともあって、ストレス解消がてら壮士に組手を頼んだのだが、コテンパンにされてしまった。

『悪い、ちょっとやり過ぎた。だいじょうぶか……?』

気遣うようにそう言って、手を差し伸べてくる壮士。
かたや奈津は無言でゴツゴツした彼の手を握りつつ、

『…………』

壮士に対する好感度を著しく下げていた。何故ならこの大人気ない野郎は、声音こそ心配を装いつつも、顔の方は山賊の下っ端のようなゲス顔を貼り付けていたからだ。女の子をひっくり返して喜ぶとか、どうしようもないサイテー壮君野郎である。
もしかしたら、お昼ごはんのおにぎりに大量のわさびを仕込んだことをまだ根に持っているのだろうか。それとも未だに額に薄く残る『カルピ』のことを怒っているのだろうか。
どっちにしても器の小さい男だ。懐の深いお兄さんを見習うべきだと思う。

仕方ないので、今度こそストレス解消がてら、銃を撃ちまくった。
その後はカードゲームで壮士をコテンパンにしてやった。ぐぐぐ、と悔しそうに歯噛みする壮士を見てちょっとスッキリした。
そうして壮士に本日最後のエサ(晩ごはん)を与え、ロバートと一緒に夜の街に消える壮士を見届け、半死半生な琴子と仕事の打ち合わせをした。

こうしてまた、できるメイドさんの一日が終わる。
グアムに来て以来の日常。代わり映えのない一日。悩みはたくさんあるし、琴子のことも心配だけど、それでも穏やかな日常に違いない。すべき仕事をして、琴子の面倒をみて、壮士にイタズラして過ごした。

身体の芯が震えるような喜びはないかもしれない。
胸が踊るような特別な出来事はないかもしれない。
けれど、この平凡で穏やかな時の流れが、奈津がずっと望んできたささやかな幸せだ。
だから奈津は満足していた。本当に。心の底から。この時までは――。

この日の午後九時過ぎ。綾部奈津は運命を変えた。

「?」

浴室の扉を開けた奈津は、テーブルの上で小さく点滅するスマホに目を向けた。
着信か、メールか。髪をタオルで拭いつつ、奈津はさしたる感慨を抱かないままスマホを取り上げた。

「…………」

通知欄を目にした瞬間、奈津は形容し難い嫌な予感を覚えた。
着信だ。それも知らない番号からの着信。

無意識にリダイヤルに指が伸び、しかしタップする寸前で細い指の動きが止まった。
冷たいものが背筋に走った。見知らぬこの番号にダイヤルすると、後戻りできぬような事態に陥る予感がする。理由は判らない。ただの直感としか言えなかった。
そんな奈津の迷いを断ち切るように――、

「ッ……!」

再度の着信。
奈津は一度生唾を飲み、震える指で『通話』のアイコンをタップした。

『奈津……?』
「―――――」

その声を耳にしたと同時に、奈津は己の内側で何かが崩れていく音が聞こえた気がした。
こんな日が来ることを、まったく想像していなかったわけではない。いいや、むしろ、いつの日か彼から、あるいは彼女から連絡が来るんじゃないかと想像していた。
だからこそ、奈津が最初に口にすべき言葉は決まっていた。

「葵依さんは生きていますか?」
『…………』

相手の息を呑む音が聞こえた。
たっぷり十秒。沈黙が続いた。その空白は彼の深い葛藤を如実に表していた。

「記憶が戻ったんですよね?」
『ああ……』

絞り出すようにそう言って、寛人が諦念したように深い溜め息をつく。そして奈津もまた手で顔を覆った。姿は見えなくとも判る。きっと寛人もこちらと同じような顔をしているだろう。

「葵依さんは無事ですか?」
『心配ない。無事だ。“今は”ちゃんと生きてる』
「今は、ですか」
『うん、今は。見事なまでに神にはめられたよ……。すまない、せっかく奈津が忠告してくれたのにこのザマだ』
「仕方ないですよ……。寛人さんのせいじゃないです」

寛人と葵依に何が起きたのか判らない。どういう状況に置かれているのかも想像がつかない。しかしこれだけは断言できる。二人に罪はない。
相手は超常だ。神に目をつけられた時点で避ける手段などあるはずがないのだから。

『ありがとう。それで要件なんだけど、近い内に会えないか? 約束する。出来る限り迷惑はかけないし、絶対にお前を巻き込んだりしない。ちゃんと膝を突き合わせて事情を話したいんだ』
「寛人さんに頼まれて、私が断れると思いますか?」
『……思わない。思わないから自分の汚さに反吐が出る。すまない、少しだけ力を貸してくれ』
「わかりました。私にできることならなんだってします。ただ……」
『わかってる。いまグアムなんだろう?』
「……そこまで知ってるんですね」
『まあな……。残念ながらそういう状況ってことだ。こっちから会いに行ってもいいし、もちろん日本でも構わない。ぜんぶ奈津の都合に合わせる』
「じゃあ日本で。こっちだと逆に目立ちます。来週戻る予定なのでスケジュールを確認して折り返します」
『わかった。すまない。あと、本当にありがとう。恩に着る』
「いえ、それじゃまた」
『また』

通話を切ると同時に、奈津は取り繕うことを放棄してその場に崩れ落ちた。
奈津は呆然となにもない中空を眺めながら、絶望感一色に呟く。

「そんな……」

駄目だ。これはない。未だわからないことだらけだが、きっともうこの流れは止められない。
材料が揃い過ぎている。
神と悪魔、壮士と琴子、寛人と葵依、そして悪魔のゲーム。
彼ら四人の物語にハッピーエンドは用意されていない。だって彼らは殺し合う運命にある。一人か、二人か、それとも全員か。必ず誰かが死ぬ。彼らは幸せを取り戻す為に、相手を最大不幸に陥れようとするのだ。

「私にどうしろっていうの……?」

奈津は遠からず、神と悪魔両方の事情を知ることになるだろう。
そんな重要なポジションを与えられても困る。奈津は四人全員の味方でありたいと願っているのだから。
だいたいそんな役目、分不相応じゃないか。
奈津は琴子や葵依のような秀でた知性を持たない。壮士や寛人のような暴力だって備えていない。凡庸で特徴のない、そこらに転がっているような女なのだ。
そんな自分に何ができる。最初からバッドエンドしかない物語を、どうやって書き換えろというのだ。もっと相応しい人に与えられるべき役目じゃないのか。

どれだけの時間。絶望に暮れただろうか。
ふと、奈津は天井に目を向けて語りかけた。

「神様」

なかば確信していた。

『はいはーい』

そんな間の抜けた幼い声と共に、突如として光の珠が出現した。

「……そんな堂々と現れていいんですか? 敵陣の真っ只中ですよ?」
『いいのいいの。別にじーちゃにバレても神様こまんないし。というか、じーちゃなんて神様ほんき出したらワンパンで倒しちゃうし』
「ワンパン……。聞かされていた話と少し違うようですが……」
『そうなの? まー、じーちゃがなに言ったかしんないけど、かっこつけたかったんじゃない? とにかく神様がさいきょーだから』
「そうですか」
『それよかなっつんひさしぶりー! げんきしてたー?』
「はい、元気でした。ついさっきまでは。葵依さんに何をしたんですか?」
『え、神様なんもしてないよ?』
「何もしてないのに記憶が戻るわけないですよね?」
『記憶はねー、ひろとんが戻してくれーって言ったから戻してあげたのー。なので神様、ひろとんにもあおいにもなんもしてません。しーていうならご褒美をあげたくらい?』
「ご褒美が記憶の消去だったはずです」
『そだけど、記憶消すていどのことじゃ、ご褒美になんないよって神様いったじゃない。せっかくゲームクリアしたんだから、神様的にもそーおーのご褒美あげたいじゃない?』
「……まあ、いいです。事情は寛人さんから聞きます」
『そーしてあげて! なっつんやさしー。んで、神様になんかよお?」
「ご褒美をください。私の分は保留にしていたはずです」
『おー、やっと決まったかー』
「はい、決めました」
『ウンウン。神様はがんばった人をちゃんと評価するたいぷです。なにがほしい? あーでも、神様にできることにしてね。神様すーぱーごっどだけど、なんでもできるわけじゃないから』

奈津は神に乞うた。

最初からバッドエンドしか用意されていない物語。
それをハッピーエンドに書き換えることはできないかもしれない。いや、きっとできない。主人公たちの命のすべてを拾うことはできないだろう。
きっと四人の内の誰かが死ぬことになる。だけどもし、もしそこに奈津が関与できれば、物語を少しだけ変えられるかもしれない。救いのある形に変えられるかもしれない。
奈津は主人公たり得ない。凡庸で才能のない奈津が日の目を見ることはない。所詮は脇役、このお話は四人の物語だ。
しかし、

(……置かれた立場に応じた責任を果たさねばならない)

奈津は円成寺の女ではない。
だが、脇役にも矜持がある。彼らに抱く思いが、感情があるのだ。

(私は私の……)

彼らは彼らで目指せばいい。戦い、奪い、殺し合い、踏みにじって、自分の幸せを追求すればいいと思う。
ただし奈津が割り込む。奈津の目指す幸せが、たとえ彼らの描くそれと形が異なっていようと、遠慮なく割り込ませてもらう。
許されるはずだ。彼らはそれぞれ大切な物を失ったかもしれないけれど、奈津だってここまで無傷で生きてきたわけじゃない。ましてこのゲームは、奈津から大切な物を奪ってしまうかもしれないのだ。
だから。許されるはずだ。彼らの願いを踏みにじっても。綾部奈津が幸せになる為に。

「私をゲームに参加させてください。それがご褒美です」

クロ

クロ

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ノクターンノベルズにて「神様のゲーム」連載中です。 ゲーム版の公式サイトはこちら