悪魔の章 026.青に住まう鬼

琴子は静かに瞼を開き、決断を下した。

「青にします」
「わかった」

二つ返事で了承する壮士。材料の乏しいなかでの決断に異論なんてあるはずがない。
ただ、

「一応理由があるなら教えてくれ。ただの勘ってことならそれでもいいから」

はい、と琴子は頷きつつも、申し訳なさそうに整った眉をハの字に曲げて言う。

「でもごめんなさい、自信を持てるような強い根拠はありません」

そう前置きした上で、琴子は青を選んだ理由を話し始めた。

「結論から先に言うと、いかなる内容のゲームであろうと、マアさんを相手にした方が状況を管理しやすいと考えました。カムイさんと違い、マアさんは理性的で話の通じる方ですからね」

言って、琴子は鋭い目つきで少し離れた距離に立つ魔阿を見やり、

「今回のゲーム。どういう毛色のモノであると予想しますか?」
「そうだな……」

琴子が黙考している間、壮士とて思考停止していたわけではない。が、与えられた乏しい情報を材料に、ゲームの内容を予想するのは困難だ。一方で、まるで予想がつかないかというとそうでもない。琴子が言うように系統を予想することは可能だろう。
たとえば、

「プレイヤー同士が殺し合うゲームじゃないよな?」
「私もそう思います。“集団戦”のくだりは欺瞞でしょうね」

という予想が可能だ。
集団戦と言われれば、どうしても殺し合いをイメージしてしまうが、今回のゲームには勝者が存在しないと謳《うた》われている。故に集団戦は初歩的な欺瞞であると同時に――、

「今回マアさんは、部屋を選択する前に、少ないながらも私たちに情報を与えました。何かしらの意味があると考えるべきです」

これらの情報は部屋を選択する判断材料であり、ひいては『部屋を選択することに意味がある証』というのが琴子の見立てだ。

選択権の話、同部屋入室の話。この二つは単なる事務的説明と言える。しかし『両陣営の複数名が参加』と『勝者が存在しない』という情報は、前者のそれと明らかに毛色が違う。後者二つは事前に通知する必要のない情報だ。即ち、魔阿は意図的に情報を与えたのだ。

「となれば実質、第二戦は既に始まっているのでしょう。……部屋の選択を含めて」

初戦がそうであったように、この部屋の選択もゲームの一部であると考えるべき。

「これは割と自信があるのですが、今回のゲームは“目標達成方式のゲーム”だと思います」
「目標達成……?」
「ほら、一言にゲームといっても色々な種類があるじゃないですか。カードゲームなんかは相手を負かすことを目標にしますけれど、何かを集めたり、課題を達成したりするゲームなんかもたくさんあるでしょう?」
「ああ、格ゲーと恋愛ゲーの違いみたいなもんか」
「かくげー? というのがよく分かりませんが、たぶんそれで合っていると思います」

続けて話してくれた琴子の説明を受け、壮士はより深く納得感を得た。

特定の課題を課し、個々のプレイヤーはその課題を達成する。達成できればゲームクリア。
これなら確かに勝者は存在しないし、殺し合う必要もない。集団で行っても成立するだろう。課題が個々人に設定されるのか、集団に設定されるのかという違いはあるかもしれないが、互いが相争うという要素は排除できる。要するに自分自身が唯一の敵ということだ。

「ウチの参謀殿はホント頼りになるな。絶対そうだろって思えてきたぞ」

感心しきりな壮士の一方で、琴子の表情は晴れない。

「ただ……」
「ただ?」
「仮にこの予想が当たっていたとして、肝心要の目標を絞り込めません」
「そりゃいくらなんでも高望みし過ぎじゃないか? そんなの予想できたら、俺マジでひくよ?」

こんな乏しい情報でそこまで予想できたとしたら、もはやこの黒髪ショートは、頭が良いとかのレベルを越えて、異能を備えているんじゃないかと勘ぐってしまう。
が、そんな壮士の感想を受けても、琴子は納得できないでいた。

(そんなはずがない。何かあるはず。目標を絞り込む何かが……)

根拠がある。第二戦のゲームが赤と青とで同じ内容だと言明されているからだ。
言い方を変えれば、魔阿は琴子らに『神威か魔阿かを選べ』と明確なサインを送っている。この示唆は即ち、たとえ同じ内容のゲームであっても、赤と青とで小さくない差異があることを示している。
もはや謎掛けような話だが『赤と青』とで『同じ』なのに『何かが違う』のだ。絶対に。
琴子の考察のなかで、この一点だけが未だに解消されていなかった。

そんな琴子に気づきの切っ掛けをもたらしたのは、壮士の何気ない一言だった。

「しっかし、耐える系とかだったら嫌だな……」
「耐える?」
「いやだから、目標達成ってのが当たってたとして、それが何かを耐えるとか我慢するみたいな感じのヤツだったら嫌だなって話。ノルマとか課題って言っても、何かを集めろとか、どこどこまでたどり着け、みたいなのとは限らないだろう?」

続けて壮士は他の例をいくつか挙げた。
痛みに耐えろだとか、クソ重たい物を持ち続けろだとか、片足で立ち続けろだとか。面倒とか苦労をさせられるタイプならまだいいが、この手の我慢を強いられるタイプの課題は勘弁してもらいたいという話だ。

それを受け、琴子は考える。

(耐える、ですか……)

琴子にすれば、壮士が抱く懸念の方向性は少々ズレていると言わざるを得ない。何故ならこれは悪魔のゲームだからだ。
痛みに耐えるという課題、あるかもしれない。重いものを持ち続けるとの課題、可能性はあるだろう。だが、予想する上で絶対に外してはならないのは『死』だ。
一歩間違えば直ぐに死に至る課題。プレイヤーが殺し合わずとも殺されてしまう課題。そういう危険な課題を課せられるとみて間違いない。

(両陣営の複数のプレイヤーが参加……。勝者が存在しない……。赤と青が同じ内容のゲーム……。しかし赤と青とで小さくない違いがあって、課題達成方式のゲームである。そしてもしその課題が耐える系統だとしたら……)

持ち前の明晰な頭脳を回転させ、やがて琴子は閃きを得た。

「あ……」
「? どうした」

琴子は顎に手を添え、深刻な眼差しを壮士に向ける。

「さっきのはナシにします」
「なし……? 青にするってやつ?」
「はい。でも赤にするわけではありません。もう一度検討し直します」
「お、おお……、別にいいけど、なんか気づいたか?」

とそこで、成り行きを見守っていた魔阿が一歩前に出た。
促すような眼差しを受け、琴子は深々と眉間にシワを刻みつつ、魔阿に向かって叫んだ。

「あと1分だけください!」

頷いた魔阿に頷きを返し、琴子は再度壮士に目を向けた。

「いくつか質問をします。時間がないので簡潔に答えてください」

さしもの壮士も琴子の深刻な空気を感じ取り、黙って顎を引いく。

「お兄様とわたくしの二人がかりでマアさんを殺せますか?」
「状況設定が曖昧すぎる。もう少し具体的に」
「遮蔽物のない場所で真正面からぶつかると想定します」
「間違いなく二人とも殺られる。お前は戦力にならないどころか、足手まといだ」
「ではお兄様とマアさんの一対一なら?」
「それでも殺されるだろうな。どんなに良くても相打ちが天井だ。だけど、殺られる前提なら傷を負わせたり、時間稼ぎはできると思う」
「カムイさんが相手なら?」
「同じ結果になると思うけど、マアよりは見込みがあるかもしれない」
「なぜ?」
「直情的だから。カムイが相手なら心理戦が効くかもしれない。でも正直わからん。二人の性格や実力を測れるほど接触してないし」
「二人を打倒する為の条件を教えてください」
「身を隠せる見通しの悪い環境、ないし地形が最低条件。あと、不意打ち、待ち伏せ、トラップを仕掛けられる時間的な余裕が要る。でもこの手の小細工は、カムイには効きづらいかもしれない」
「どうしてですか?」
「直情的だから」
「なるほど……」
「アイツはたぶん、あんま細かいこと気にせずにガンガン来るタイプだ。考えなしなアホな子も、それはそれで怖いもんだ。逆にマアは慎重に状況を見るタイプだと思う。そういう条件ならマアの方が相手しやすいかもしれない。ある程度行動を予測したり、誘導できるかもしれないからな」
「よくわかりました。質問は以上です」

やはり琴子は深刻な表情のまま頷いたのち、ベルトポシェットに手を伸ばして、

「インカムを」
「あ、ああ……」

壮士は要領を得ないまま琴子に倣い、ベルトポシェットから小指の先ていどの金属筒を取り出した。
二人が耳穴にねじ込んだのはインターカム、通信機だ。軍や公権で利用される極小型で、その大きさ故に出力は弱くバッテリーの保ちも悪いが、隠密性は高い。二人が同じゲームに挑むことになったケースを見越して、琴子が用意させた装備の一つだ。

琴子が数メートル距離を取る。

『テステス……。ABC……、応答を求む』
「問題ない。感度良好だ」
『了解。それでは参りましょう』

骨伝導で伝わるややくぐもった琴子の声を聞きながら、壮士は踵を返した彼女のあとを追う。

「なあなあ、参謀どのよ。もしかしてアイツらとやり合うことになったりするの?」
『そうならなければ良いのですが』
「そっか……。今日のお前は冴えまくってるみたいだし、腹をくくった方がいいかもしれないな」
『ふふ、もしそうなったら命懸けで守ってくださいね』

任せとけ、と壮士は不敵な笑みを貼り付けて琴子の隣に並び立つ。
もっとも内心は絶望感でいっぱいだ。なにがどういう理屈で二人とやり合うという予想に至ったのか、是非とも教えてもらいたいところだが、しょせん壮士は兵卒。当たっていようが外れていようが、上役に言われるがまま殺るだけである。

「お待たせしました」
「いいえ、問題ありません。それにしても、お二人は色々な物をお持ちですね」
「ああ、このインカムですか? 備えあれば憂いなしです」
「素晴らしいご準備と存じます」
「念の為に聞いておきます。通信機器の利用は制限されますか?」
「いいえ、制限されません。禁則事項がある場合は、ゲーム毎にお知らせするようにします」
「お願いします」

承りました、と魔阿は柔和に微笑んだのち、壮士と琴子を交互に見やり、

「どちらの部屋に挑まれますか?」

無論、答えたのは琴子だ。

「青に参ります」
「畏まりました。どうぞそのまま青にお入りください」

恭しく頭を下げ、魔阿が手の平で青紫の扉を指し示す。
壮士は小さく気合の息を吐き、やり合うことになるかもしれない彼女の前を通り過ぎる――と、不意に腰の辺りに引っ張られる感覚。

「どうした?」

振り返ってみると、琴子が難しい顔をしてこちらの服を摘んでいた。

「……なんだか嫌な予感がします」

琴子それを、壮士はナーバスになっているのだと受け止めて、故に彼女の緊張を解くように自信たっぷりな笑みとともに軽口を返す。

「心配するな。そんなの俺だって感じまくってるから」
「そういう意味ではないのですけれど」

こちらの気持ちは伝わったのだろう。琴子はそう答えながらも苦笑い。

「やっぱ赤にするか?」
「いえ、参りましょう」

ちょんちょんと腰の服を摘んだ指で『進め』とつつく琴子。
壮士は一度首をひねり、琴子に服を掴まれたまま青の扉をくぐった。

◆◇◆

扉を抜けた先は、一戦目が行われた場所とまったく趣の異なる部屋だった。

靴越しに伝わる肉厚な絨毯の感触。見るからに豪奢な造りのテーブルが一台。同様にひと目見て高級だと判る造りの椅子が六脚。その奥にカウンターキッチンが備え付けられており、さらにその隣には、別の部屋に続いているであろうドアが見えた。
二十畳程度の広さの部屋だ。壁には淡いクリーム色の壁紙が貼られていて、頭上に目を向けると、これまた高そうなシャンデリアが吊られていた。

「ホテルか……?」

ざっと見た印象としては、名のあるホテルのスイートルームを連想させる場所だ。
壮士の右手前方。大きく取られた窓のおかげで部屋の中は明るい。
ひとまず外を覗いてみようと、壮士は一歩踏み出した――直後、

「ん?」

些細な違和感を覚えて壮士は背後を振り返った。
つい先程まで感じていた引っ張られる感覚が、ない。それもそのはず、

「マジかよ……」

それこそ神隠しにでも遭ったように、琴子の姿が忽然と消えていた。

――なんだか嫌な予感がします。

「ほんんとうにっ、ウチの参謀殿はキレッキレだよッ! クソッタレがッ!」

手近にあった椅子を蹴飛ばして盛大に悪態をつく壮士。
間違いない。入室そうそう分断されてしまった。

「琴子! 聞こえるか! 聞こえるなら返事しろッ!」

何度呼びかけようがインカムからの応答がない。このインカムはその小ささから出力が弱く、遮蔽物なしでの通信可能距離は1000メートルというスペックだ。
ただ、

「インカム使うのは認められてるから……」

距離が離れているか、地下とか、建物の中だとか、電波の届かない場所にいるかのどちらかだ。
となると、今回のゲームが行われるフィールドは、一部屋二部屋というレベルの広さでないということになる。下手をすると、直線距離で2キロを越える広大な空間だ。

「クッソ……。まさか琴子を探すとこから始めなきゃいけないとはな。こんなことなら紐でくくっとけば良かった」

同じ部屋に入ると聞いて油断していた感は否めない。もっとも気づいたところで、この始末なら防ぎようはなかったろうが。
直後、

『皆様、青の部屋へようこそおいでくださいました。今回のゲームを取り仕切らせていただきますマアにございます』

骨伝導式のインカムと同じく、体の内側から魔阿の澄んだ声が聞こえてきた。

『それでは早速ですが、ゲームの内容をご説明いたします。まずはゲームの趣旨をお伝えしましょう。今回のゲームは“間引《まびき》”を目的としています』
「間引だと……?」
『実を申しますと、当初予定していたよりも参加者が多く、故に、両陣営ともに使えない駒は早々に死んでいただくゲームを行うこととしました。重ねて申し上げますが、このゲームは赤の部屋でも行われています』

今さら怒りは覚えない。怒りの針などとうの昔に振り切れている。
だが、この主催者側の身勝手な言い分に、心を動かさぬプレイヤーがいるだろうか。

『ゲームの内容は極めてシンプル。“鬼ごっこ”です。今より三時間のあいだ、プレイヤーの皆様は鬼に捕まらないよう逃げてください。僭越ながら青の部屋の鬼役は、わたくしマアが務めさせていただきます』

一切の情動を感じない、魔阿の整然とした声が第二のゲームの始まりを告げる。

『見つけ次第殺していきます。頑張って逃げてくださいね』

クロ

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